太宰府滞在初日。くすかき14日前。今日から約6週間太宰府に滞在し「くすかき」を行う。
今年の会期は4月5日(土)〜4月26日(土)。4月5日の「松葉ほうきづくり」からはじまり、毎日の朝夕は樟の落ち葉を掻いて集める「日々のくすかき」、週末は樟葉から樟脳を抽出する「くすのこうたき」、そして最終日の4月26日は、1年に一度、かつて存在した千年樟を描き出し、香りを天に届け、想いを馳せる「くすのかきあげ」を行う。
「くすかき」は太宰府天満宮の樟の杜を舞台とした参加型アートプロジェクト。平成22年(2010年)にスタートし今年で5回目を迎える。見えないものを大切にする日本人の精神性を未来へつないでいくプロジェクトである。
具体的に“見えないもの”が指すのは、「かつての千年樟の存在」である。樟葉を集め、その香りに込められた一年間の記憶を取り出し天に届けることで、その存在を毎年一度想像してみる。そうして“樟の葉を掻く”という普遍的な所作を通して「時(世代)を超えたコミュニティのつながり」を生み出すことを最終目的としている。なので、目標は100年、、、いや1000年続けることである。その5年目の「くすかき」の準備のため午後三時半頃に太宰府駅に到着した。
参道は相変わらず活気に満ちている。さすが年間700万人が訪れるお宮である。参道の奥に目をやると、幾重にも重なった白い鳥居のむこうに、深い緑の樟の杜の姿があった、その上には青空が広がっている。自分にとってはこれこそが春を迎える景色である。
にしても、人が多いなと、、、よく見ると、オレンジの法被を羽織った人がたくさんおり、先頭には三味線を弾く楽隊も歩いている。どうやらお祭りをしている。「梅上げ」という「初老」と言われる41歳になる男性が天満宮に献梅し(別の週では60歳の還暦を迎える男女が行う)、厄を払う行事の真っ最中で、初老の皆様は参道の各店舗が用意したお酒を飲み干しながら移動していっているではないか。これでは歩みは遅くならざるを得ない。しかし、みなさんかなり酔っていて全体が非常にめでたい雰囲気である。
そんな中には、これまでくすかきをきっかけにお会いした方もちらほらおり、思わず声をかけると、「おお!なんでおると?うれしいなー。そうか、もうそんな季節か」と一緒に写真を撮ったり、参道店舗のお酒を出す側の人も知り合いの方だったり、梅上げ全体を見ている神主さんも当然お世話になっている方で、「おう!樟の葉も落ちはじめたし、そろそろ来ると思ってたんよ」と嬉しい一言。といった感じで、到着早々立て続けにたくさんの方々と再会をすることが叶ったのである。5年続けてきた成果を初日にして感じたのであった。今年は幸先良い太宰府入りである。
荷物を置き、まずは御本殿に参拝し、ご挨拶。「今年も良い“くすかき”を奉納できますように。今日からよろしくお願いします」。二礼、二拍手、一礼。
17時、くすかきデジタルアーカイブのデザイン及び制度設計をしてくださる須之内さんと合流し、初めての太宰府ということだったので簡単に境内をご案内。くすかきデジタルアーカイブとは、アートプロジェクトを美術史の中で位置づけしていくために、各地で行われているアートプロジェクトを集積し、評価軸をつくり、その後、評価へとつなげていくことを目的としている東京文化発信プロジェクト室の活動の1つで、インターネットのネットワークにデジタルデータを(今回はまずデジカメで撮影したデータのみ)を、現場をまわしながら整理集積してみようという試みである。アーカイブが機能すると、このくすかきというプロジェクトがどのように形づくられていったのかを、例えば100年後の人が調べることができるようになる。もっと近い未来なら、これまで五年の全てのくすかき写真を時系列に並べて眺め、皆で振り返ることができるようになる。更にうまく使えるようになれば、1本の樟の木であり樟の杜の変化を長い時間をかけて観測するような機能も果たす可能性がある。プロジェクトという「コト」を如何に残して第3者に伝えていくかの挑戦である。
そして、その後、くすかきが始まった当初からずっと一緒につくってきてくれた地元太宰府江藤家の両親がどうしても外せない用事があり、託児を頼まれていたので、物心ついてからずっと「くすかき」に参加してくれている、今年から小学一年生になる幹太と4歳になる草次と合流。子供を託してもらえる関係になれているということが何より嬉しく思えた。そしてもちろん再会し成長した姿に出会えるのは素直に嬉しい。
彼ら2人が成人したり、おじさんになった時に、くすかきデジタルアーカイブは彼らの成長を映し出す存在にもなる可能性があるのだなと思った。
太宰府入りの初日にして、参道でたくさんの仲間と出会い、デジタルアーカイブというくすかきにとっての新たな展開と、託児という、なんとなく今年のくすかきを象徴する予兆を感じた日となった。良い入り方である。
もうすでに樟の葉が落ちています。
樟の葉があるから空がより蒼く美しく見える気がする。
とにかく今日も参拝者の足が途切れることはなかった。