太宰府7日目。くすかき2日前。所々に雲があったが朝から晴。8時に境内へ。昨日が雨だったので2日分の葉っぱを掻く。この時期に2日分葉っぱを溜めると地面は葉っぱで埋まったような印象になる。くすかき会期前だが、樟は待ってくれない。気温や風や雨を自らの身体で感じながら、樟の日々の変化を追いかける。
よーし掻くぞ!と、腕まくりをすると、「おはようございます!」「おはようございます!」と元気の良い声が2つ響いた。松大路兄弟である。松大路家は代々太宰府天満宮をつないできた一族。お父さんもお爺ちゃんも、今現在、太宰府天満宮で神職をされている。
兄は今年で小学5年生、弟は2年生になる。2人とも去年のくすかきで出会った。今回、太宰府入りし神職の松大路さんにご挨拶した際「うちの子ら、《くすかき》いつあると?って、ずっと楽しみにしとったんよ」と教えてくれた。会期のはじまる前からの参加とはうれしい驚きだった。
父の背中を見て育っている2人は、とても礼儀正しい。挨拶はスッキリと大きな声で「おはようございます!」。くすかきを終えて帰る時は「明日もよろしくお願いします!」とか、「今日の夕方はプールがあるので少ししか参加できません」といった感じで、自分で挨拶をしに来る。自分が彼らと同じ年の頃は、あんな風に挨拶できなかった。立派である。
彼らもいずれ大きくなったら、父や祖父や先祖代々のように神職というお仕事に就くのだろう。神職の方々も、この時期になると朝8時すぎくらいから松葉ほうきを持って、樟の落葉掻きをする。その時の行為の呼び名は「境内清掃」。管理員さん達もお掃除の方々も皆、そう呼ぶ。
松葉ほうきを持って樟の落葉を掻くという意味では、《くすかき》も《境内清掃》も同じ行為である。参加してくれる子どもの中には、「くすかきしたーい!」という子もいれば、「くすかきって掃除やん」って子もいる。これは本当にその通りで、どっちも正解である。
《掃除》ととるか、《くすかき》ととるか。行為は同じでも、何か感じ方が違う。
ものの見方や視点を変えると、面白がれたり、太宰府天満宮や樟に関わる入口になったり、見落としていた発見があったりする。
なんだか面白かったり、気持ちが清々しかったり、友だちに会えたりするから、朝6時半からの《くすかき》に20人近い人たちが集う。その面白さは1人1人違うのだろう。
十数年後、松大路兄弟が神職になるとき、《くすかき》で育った彼らは、あの行為を何と呼ぶのだろう?きっと太宰府天満宮職員という立場からいったら《境内清掃》と呼ぶのだろう。でも、その時何を感じるのだろう?
《境内清掃》《くすかき》どっちでも正解である。願わくば、その頃には、太宰府天満宮の境内で樟の落ち葉を掻く行為に関しては《くすかき》と呼ばれるような未来をつくりたい。
昨日が雨で掻けず。一日放っておくとこんな感じになります。
松大路兄弟。
樟若葉を包む薄皮。たくさん落ちてきているのは芽吹きの証。
掻き山を見て、松大路兄弟は、もう《くすかき》何かしとると?って気になってやってきたそうだ。