岩黒島の〈そらあみ〉完成。橋の上で泣きます。

沙弥島滞在24日目。岩黒島の〈そらあみ〉が完成した。

 

10時に島に着くと、もうすでに、みなさんそろって編んでいるではないか!!!

 

五十嵐「おはようございます!早いですね。何時からはじめられたんですか?」

自治会長「はようからやっとるで、年寄り衆は8時すぎには寄って編んどったわ」

五十嵐「8時ですか!それは早い!確かに今集まった雰囲気ではないですもんね。ありがとうございます!」

 

さっそく合流して編んでいると、炊事場からお母さんたちの声が聞こえてきた。それがまた、とっても良く通る声なのだ。あの声を聞くと、岩黒島にいるなぁという気分になる。

 

すると、しばらくしてカレーの匂いが漂ってきた。もしかして、今日はカレー?昨日は茶粥をいただき、今日はカレーと2日連続で、お昼をみんなで美味しくいただいた。心から感謝である。

 

網は午前中でほぼ編み上がり、午後に仕上げをして、岩黒島の空に掲げた。しばし、島のみんなで眺める。

 

「ほう。やっぱりこうして空に上げるときれいなもんやのう」

「編んでる時とずいぶんまた見えかたが違うのう。ええのう」

 

「おい。ここ編んだの誰や?穴が空いとるぞ(笑)」

「ちょっと誰や〜。うち知らんで〜(笑)」

「その穴やったら、鯛(たい)やったら抜けて逃げてまうぞ(笑)」

「鯛は目が、たいがいええからのう」

「本当ですか?」

「そうや。こんくらいの穴があったらな。あいつらはな、そこを見つけて、しゅっと、抜けてしまうんや」

 

「でも、まぁ、あとは上手いこと編めたな。3年前よりも上出来や!」

「なんか、編んで終えてしまうと寂しくなるなぁ。五十嵐さんともこれでまた会えんやろ」

「ほんと寂しくなりますね。また何か理由をつくって来ます」

「いくろ(岩黒)のこと忘れんでな。また、いつでもおいで」

「………」

「はい。ありがとうございます。茶粥もカレーも美味しかったです!また来ます!」

「泣かんでええよ(笑)」

「はい。橋の上で泣きます(笑)」

「よう言うわ〜(笑)」

「では!いったん帰ります!ありがとうございました!!!」

 

また会いたい。その気持ちが自分を動かす1つの原動力になっていることは間違いない。それと、また食べたい。も、自分の中で大事である(笑)。もちろん岩黒島のみんなで寄って食べたいのである。

 

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10時に島に着いたら、もうすでにみなさんそろって編んでくれておりました!

 

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今日はカレー。そして、イイダコの煮付け。また食べたい!

 

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家族のように受け入れてくれる岩黒島。

 

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一枚の網に徐々に仕上がっていきます。

 

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ここがつながったら完成です!

 

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カレーを作った時の鍋と〈岩黒島〉のそらあみ。そのむこうに島のみなさん。実に岩黒島らしい風景。

 

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みんなで記念写真!

 

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おい!ここに大きな穴が空いとるぞ(笑)


岩黒島の〈そらあみ〉完成間近。茶粥の味。

沙弥島滞在23日目。岩黒島の〈そらあみ〉は完成間近。明日も集まって完成させることになった。岩黒島はアットホームな島。この島で〈そらあみ〉をしていると大きな家族の中にいるような感覚になる。

 

「いくろはええとこやろ。みんな家族みたいやろ」と、おばあちゃんが言う。〈いくろ〉は岩黒のこと。

 

「いくろの味を忘れんでな」と、お母ちゃんが言う。〈いくろの味〉は茶粥(ちゃがゆ)のこと。茶粥は岩黒島で昔から食べられてきた。碁石茶(ごいしちゃ)で米や芋やそら豆と一緒に炊いたお粥。昔は米が貴重だったから、芋や豆で量増しした。島の人曰く、喉の上までお腹いっぱい食べられるそうだ。

 

その茶粥を岩黒島で3年ぶりにいただいた。そう。お昼ご飯を用意してくださったのだ!

 

「みんなでたべると美味しいの」と、おばあちゃんが言う。ほんとうにその通りで、みんなで食べると美味しい。茶粥はたいてい羽釜で炊く。当然一人分なんてことはない。

 

「あんたおかわりは?」

「はい。いただきます!」

 

「若いんやからまだ入るやろ?」

「じゃあ、あと一杯だけ」

 

こうして、茶粥を3杯、腹いっぱい、いや、喉の上までいただいた。

 

そらあみの向こう側にはこんな景色が広がっている。

 

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羽釜から茶粥を茶碗いっぱいに盛る。

 

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みんなで食べると、ほんとうに美味しい。

 

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岩黒島の味。茶粥、タイラギ貝、ニシ貝。貝類は言うまでもなく獲れたて新鮮で絶品です。

 

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一緒に食事をすると、当然会話も弾みます。

 

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糸を玉に巻く。糸を網針に巻く。穏やかな美しい風景。

 

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完成まであと少し。


櫃石島の〈そらあみ〉完成。漁師の力。

沙弥島滞在22日目。今日、櫃石島の〈そらあみ〉は完成した。櫃石島は若い漁師さんも多い活気のある島。ゆえに毎日の漁や消防団の集まりなど若い漁師さんは忙しい。

 

漁師「これ、今日で仕上げるん?無理やろ。おれ、そない暇やないで」

 

そんな雰囲気ではじまった櫃石島での最終日。結局午後1時から6時まで、お付き合いくださり見事に完成を迎えた。だがそこはやはり櫃石島。そう簡単には完成しないのである。

 

漁師A「これどこまで編むん?」

五十嵐「60目です」

漁師A「60目て、みんな目の大きさちゃうで、メートルでいかなあかんわ」

五十嵐「そしたら、6メートルの長さまで編んで欲しいです。」

漁師B「網は広げたら縮むんやで。分かっとるよな?」

五十嵐「はい。いちおう計算では6メートル編んで、つなぎ合わせて開いたら5メートルになる計算です」

漁師B「そんで、どないしてつなぐん?かいてくだけでええか?すく(編む)んか?」

五十嵐「すいてもらいたいです」

漁師A「あんた、これ目の大きさちゃうから、すいたら裾が合わんで」

漁師B「すいてほしい言うてんのやから、すいたらええやろ」

漁師A 「でも仕上がりは5メートル必要なんやろ?目の細かい所とかは裾が足りんところが出るで、せやから6メートル編んだらええんや!」

漁師B「そしたら目の大きな所は長すぎるのが出るやろ。60目編んだらええんや!」

漁師C「そんなもん、どっちにせよ合わんわ。どうでもええんや!ほんまに…」

(さらに揉める)

漁師A「それで、五十嵐さん。あんた、これどうするん?」

五十嵐「…ひとまず…つなぎ合わせましょうかね」

 

だれ一人として、間違ったことを言っている人はいない。しかし、櫃石島の網の目は、人が個性的な分、大きさも個性的。普段から手だけで編む人は、目板(コマ:網目の大きさを決める物差し)を使わないで編む人も多い。目は明らかに小さいけれど、それがものすごく綺麗に揃っていたりする。この目の大きさが一人一人かなり違うところは、本当に櫃石島らしいし、とても良い。しかし、その分、つなぎ合わせて一枚に仕上げるのには苦労する。型にはまらない人たちが一つにまとまることの難しさに似ている。

 

そんなこんなで、もめながらも隣どうしがつながり徐々に網の形が見えてくると、一気に仕上げに向けて勢いが出てきた。でも裾はどうなるのか?合うのか合わないのか?短すぎるところ長すぎるところ、いろいろある。

 

と、ゴールが見えてきたその時、糸が足りなくなった。今日の櫃石島の分は足りるのだが、明日の岩黒島の分が足りなくなりそう。これは困った。漁師さんたちに相談すると、すぐにいきつけの漁具屋さんに電話をしてくれ、すぐにこのまま買いに行くことになった。その漁具屋は、岡山県の下津井の港にある亀仙商店。櫃石島は岡山県にほど近いため櫃石島の漁師さんは岡山の漁具屋を使う機会が多い。

 

漁師A「車で行くか?瀬戸大橋渡って、児島わかるやろ?そのインター降りてすぐや」

漁師B「いや、船で行った方が早いやろ」

 

ということで、急遽、船で岡山県は下津井の港にある亀仙商店に糸を買いに行くことになった。時計の針は5時半。時間も時間だったので、糸を買って帰ってくるところまで編んでやる。ということになった。急いで糸を買いに海を渡る。

 

この、糸を買いに海を船で渡るという発想がなんとも感動的だった。この発想、陸の人間にはない。

 

漁師の力を感じた。

 

買い出し時間は往復で約30分。糸を無事に手に入れ、もどると、なんと、あんなに合っていなかった網の裾が合っているではないか!!!いったいどうやって合わせたの???

 

漁師「網は合うんや!そういうもんや!漁師やぞ…ほんまに…(笑)」

 

漁師の力を感じた。

 

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若手漁師の孫とベテラン漁師の祖父と。

 

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これ、裾は合わんで〜。

 

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それでも、となり同士をつないでいきます。

 

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糸を買いに船で下津井へ。

 

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瀬戸大橋をくぐりながら夕日を眺める。

 

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お得意さんです。

 

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網は合うんや!漁師やぞ(笑)

 

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お見事!


与島の〈そらあみ〉完成。最後の島民。

沙弥島滞在21日目。今日、与島の〈そらあみ〉は完成した。漁師さんの少ない採石の島ということもあり、お母さんたち、石工さん、船を動かす仕事の方に、駐在さんなど、普段は網を編まない人たちが中心となったため、編み方も伝えた通りで一定で、網目の大きさが揃い仕上がりは綺麗である。

 

与島はかつて採石業が盛んだった。豊臣秀吉の検地の時には、与島は5箇所ある「御用石帳場」の1つに選ばれたほどだ。その後、江戸時代から明治時代には石の切り出しがさらに盛んになり、与島のすぐとなりにある小与島では「与島石」と呼ばれる良質な花崗岩を産出し昭和の最盛期には30社もの業者が操業していた。石材を搬出する海運業も栄え、50隻もの運搬船が使用されたという。その後、瀬戸大橋の建設に伴って橋脚やパーキングエリアや観光施設に土地を譲渡する形で多くの業者が廃業した。

 

人口の推移としては1980年代には島民は361名おり、多くの家庭が採石業に関連した仕事をしていた。瀬戸大橋の建設に伴って建設労働者の宿舎が建築され1988年には人口は500人以上に増えた。瀬戸大橋開通後に期待した観光業は数年で廃れ、人口流出が続き2010年には115人となり高齢化も進んでいる。

 

ネット上の情報はこんな感じだ。絵に描いたような20世紀型観光業の失敗パターンである。仕上げにとりかかった〈そらあみ〉の横で、自治会長がテープに録音された「石切唄」を流した。今度、瀬戸芸のオープニングで各島の伝統芸能を披露することになり、与島はこの「石切唄」をすることにしたそうだ。

 

方言が労働歌に重なり歌詞が聞き取れないのだが、唯一、カチーン、カチーン、カチーン、と拍子を取る音だけは理解できた。石を割るために楔にハンマーを打ち付ける音だ。

 

自治会長「サブちゃん。おまえ、これ、瀬戸芸の開幕でやるんやぞ。頼むな」

サブちゃん「…(黙って編んでいる)」

 

サブちゃんは、与島石で有名な小与島の人。小与島は与島のすぐとなりある島なのだが、定期船はないので、自分で船で渡ってくるしか方法はない。サブちゃんは小与島の最後の石工さんで、小与島の最後の島民でもある。体は大きくて、それこそ大きな石のような、静かでドーンとしていて、やさしい雰囲気を持った人。石の話をする時が一番輝いている。小与島に住む、サブちゃんとサブちゃんの奥さん2人で、毎回〈そらあみ〉を編みに来てくれた。

 

島に人が訪ねてくることはほとんどない。誰かが来ると犬が吠えるから、すぐに分かると言っていた。サブちゃん夫妻がいなくなったら、小与島は無人島になる。籍を残している人はもう少しいるそうだが、実際に住んではいないのだそうだ。年を重ねたということもあり、石の仕事も数年前にやめた。採石場は海面よりも深く掘られており、そこに雨水が溜まって溜池のようになっている。削り取られた岩山と、その深く広い穴を見ると、永い時と労力をかけて人が採石してきた凄まじさを覚える。

 

今は静かなサブちゃんの島も、かつては石と向き合う音で溢れていたのだろう。そして遠くない未来に小与島は本当に静かな島にもどるのかもしれない。

 

完成し与島で掲げた〈そらあみ〉の向こう側にそんな風景を見ていた。

 

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サブちゃんの背中。

 

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なんと!完成を祝してお昼に鯛めしを作っていただき、みんなで美味しくいただきました!最高に旨かったごちそうさまでしたー!!!

 

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となり同士をつなぎ合わせて一枚に仕上げます。

 

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こうゆうのがうれしい。

 

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みんなで設置。

 

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与島の〈そらあみ〉完成です!

実はこの中に富山の氷見での〈そらあみ〉中心メンバーの荒川さんがおります!なんと「瀬戸内でどんな風に編んでるか気になって来ました」とのこと。うれしいサプライズでした!!!日本海から瀬戸内海へ!これもまさに〈そらあみツアー〉ですね!!!


そらあみツアー〈沙弥島〉。島から学ぶという未来。

沙弥島滞在20日目。今日は沙弥島での〈そらあみツアー〉が開催された。島外からは20名。櫃石島の方は5名。合計25名が集った。そして、これまで以上に若い女性の参加者が多い回となった。

 

また、香川県外からの参加は岡山、徳島、和歌山、三重、神奈川、東京、さらには遥か遠く南太平洋のフィジーからも参加があり驚いた。みなさんの参加理由は「沙弥島に網を編みに来た」「島の人と編む時間を過ごしたくて」「3年前に〈そらあみ〉を見てずっと編んでみたいと思っていて」などなど。

 

さらに会場を賑わせたのは、新聞、テレビ、雑誌など取材が7社も来てくれ、ワークショップ現場は人でぎゅうぎゅう(笑)。〈そらあみ〉の展示会場となる沙弥島開催だったせいなのか、メディア対応に追われる1日となった。注目していただけるのはとてもありがたいですし、うれしい悲鳴ではあるものの、カメラなどがあると、どうしても場が荒れてしまうことと、集った人に向き合う時間が減ってしまうのは、やはりもったいないものである。

 

それでも沙弥島のみなさんが、丁寧に編み方を教えたり、島の暮らしや昔の話や漁の話を伝えたりしてくれたおかげで、沙弥島らしい穏やかに編み進む〈そらあみツアー〉となった。

 

今回の〈そらあみツアー〉が全5回開催の最終回であった。振り返ってみると、どこの島のツアーも、島の人が活き活きとしているのが印象的だった。島の人が先生となって、編み方を教える。漁師さんによって教え方が少しずつ違う。どれも正解。生まれる対話も、漁師さんなら漁の話、じいちゃんなら島の昔話、おばちゃんなら恋愛話島事情などなど、人によって少しずつ違う。どれも面白い。

 

ツアー参加者は、編むのは初めてだし、島のことは知らない。懸命に島から学び、島に感動し、笑顔を返す。初対面だけれども、編んでいるからそこにいることができる。編んでいる場があれば、そこに座って話をすることすら場づくりの1つとなる。

 

そらあみツアーは「編む」ことをきっかけに、島を開いたとも言える。

 

島から学ぶものは、懐かしく、心地よく、どこか新しくも感じる。

 

島であることを忘れ、海と向き合うことを忘れた島国となった日本。どこまで経済発展が続いたとしても、日本で生きるということは、あくまで海に囲まれた島という環境で生きるということである。島で生きる豊かさとは何か?それは日本で豊かに生きる未来につながる。

 

瀬戸内の島には懐かしい日本が残っている。それは時代に忘れられたから残ったのかもしれない。逆にいうと時代が変化してもブレなかった、変わらなかったから残ったのかもしれない。

 

海に向き合い、あるものを活かし、大きな家族のように互いに助け合いながら生きる島のみんなの姿は、千葉の埋め立て地で育った自分にとってはとても豊かで人間的に思える。自分がわかっていないだけで、大変なこともたくさんあるのだろう。不便なこともたくさんあるのだろう。

 

それでも、これだけ人が島へと出会いに、そこに何かを学びにくるのは、欲しているものがあるからである。都市部では得られないものがあるからである。

 

活き活きと教える島の人と、それを懸命に学ぶ町の人の姿、そこから時折溢れる笑顔と笑いに、懐かしい日本の新しい未来を感じる〈そらあみツアー〉であった。

 

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活き活きと教える島の人。

 

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懸命に学ぶ町の人。

 

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若い女性の参加が目立った。

 

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みんなで持って運びます。

 

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記念写真を一枚。

 

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感謝の気持ちを伝えます。笑顔が溢れます。


そらあみツアー〈櫃石島〉。本当の櫃石島。

沙弥島滞在19日目。今日は櫃石島での〈そらあみツアー〉が開催された。島外からは20名。櫃石島の方は11名。合計31名が集った。

 

櫃石島は与島五島の一番北に位置する岡山県にほど近い島。言葉や生活圏はどちらかというと岡山寄り。そして、他の島に比べ若い漁師さんの多い活気がある島である。自分も3年前は〈漁師の洗礼〉と題して日記にも書かせてもらったが、いい意味でいじめてもらえた(笑)。

 

最初は、海という厳しい世界で仕事をしているということもあり、言葉や雰囲気が強面なので、怒っているようだし、嫌われているようだし、不安な気持ちになるのだが、「もう2度と編みにはこんわ」と言って別れた次の回にも、ちゃんと来てくれて「どうせ、うちらが来るなって言うたって、あんたは来るんやろ」といった雰囲気で一緒に編んでくれる。お付き合いを重ねていくと実はその奥にはとてもあたたかい心があることに気づく。そう考えると、他の島に比べて性格はどちらかというとシャイでもあるような気もする。

 

今回のツアーも、その入り口の部分で、ツアー参加者が驚いて引いてしまわないか少し気がかりではあった。だがフタを開けてみたら、予想に反して、決してそんなことにはならなかった。結論から言うと、櫃石島の人たちは本当にやさしく面倒見のよい人たちということが伝わる〈そらあみツアー〉になった。なんか、良い意味で人間らしい人たちなのだ。

 

まず、ツアーに来た人たちへの編み方の教え方が、とっても丁寧で、且つ、やさしい。それは意外だった。もっとぶっきらぼうにいつもの調子でそれぞれ冗談を交わしながら編んでいくものかと思っていたけれど、それぞれが一対一で島の話をしたり、漁の話しをしたり、会話も盛り上がり笑顔も溢れとても良い雰囲気で時間が流れた。その様子に驚きつつも嬉しくなった。そして、いつも頻繁に飛び交う冗談も少なく、一時静かにみんなで編む時間が流れた。

 

五十嵐「あれ?櫃石での〈そらあみ〉がこんなに静かなことってありましたっけ(笑)」(←少しふっかける)

みんな「(笑)」

漁師「(そう出るか。といった笑顔で)あんたの代わりに教えてやっとるんやろ。ところでずっと聞きたいことあんねやけど、あんたこうして人に網を編ませて、だいぶ稼いどるんやろ。年収なんぼなん?」

五十嵐「…(絶句)」

みんな「(笑)」

 

こうした会話ができるようになったのも、3年前に比べて、関係性の成長があったからなのだと思う。網を編んで櫃石島に出会い、一緒に編んで島の人を少しずつ知り、櫃石島を好きになったように、きっと今日の〈そらあみツアー〉参加者の人たちも、櫃石島の人を介して、この島のことが好きになったことだと思う。

 

ツアーを企画している自分が言うのもおかしな話だが、なんだか逆に今は、この繊細で純粋な美しい心の島を、多くの人が訪れすぎることで、その良さがすり減ってしまわないかと心配になってしまう自分がいる。

 

そう考えると今後も櫃石島の漁師さんには、これまで通り、強面で、とっつきにくく、シャイでいてもらいたいと思う。

 

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漁についての話で盛り上がる。

 

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見かねて、巻いてあげています(笑)

 

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やさしく丁寧に教えてくれています。

 

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マンツーマン指導。

 

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できるまで教えます。

 

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和気藹々。

 

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指導者が良いと編み進むのも早いです。。

 

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会話も盛り上がって爆笑です。

 

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記念写真を撮影!

 

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島の方からツアー参加者へ「みんな優秀で覚えるのが早かった!」「あの飲み込みの良い子には5分で越されたわ(笑)」

 

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ツアー参加者から島の方へ「やさしくて分かりやすかったです!そして楽しかった!ありがとうございました!」


漁師の暦

沙弥島滞在17日目。今日は沙弥島でのワークショップ。10時頃、ぼちぼちと人が集い、自然と続きが編みはじめられた。網を一緒に編みながら沙弥島の自治会長で漁師でもある高尾さんに面白い話を聞いた。

 

五十嵐「高尾さん。瀬戸芸の開幕は3月20日なのですが、その前に内覧会というのがあってですね。それに合わせて3月18日に、五つの島の方々に沙弥島の西の浜に寄ってもらって、各島々で編んだ網を一枚に繋ぎ合わせて、空に掲げて完成させようと思うのですが、今回は作品設置が波打ち際になるので、潮の満ち引きの関係がありますよね。時間を何時にすると良いですかね?」

高尾さん「そうやな。今回の〈そらあみ〉は潮を読まんといかんからな」「おい。3月18日は旧暦の何日になる?」(まわりの漁師さんに聞く。すると誰かがカレンダーを持ってきた)

漁師さん「そうやな。10日になるな」

高尾さん「10日の潮ゆうことは…小潮やな。しかもあんまり動かん潮や。編み合わせするんやったら午前中がええな。昼過ぎに向けて潮が満ちてくるわ」

五十嵐「!!!…え?!なんでカレンダー見て潮の満ち引きやその時間が分かるんですか?」

高尾さん「あんた、そんなもん漁師しとったらみんな分かるわ。あんたも〈そらあみ〉やけども、いちおう網を編んどるんやから、潮のことくらいはわかっとらんといかんな(笑)」

五十嵐「はい。知りたいです。潮の読み方」

高尾さん「ええか。漁師はな、特に刺し網の漁はな、潮が止まりかけの時に網を入れて、潮が止まったら一時待って、また潮が動く前に網を上げはじめるんや。その間がだいたい3時間くらいや。それを計算して、潮が止まる2時間くらい前に港を出るんや。好きな時間に出港してるわけやないんやで(笑)」

五十嵐「でも、潮が何時頃に止まるかなんて、カレンダーで分かるんですか?」

高尾さん「カレンダーの日付の横に旧暦の日付が書いてあるやろ」

五十嵐「…あ!書いてあります。3月18日は…。はい。10日になってます」

高尾さん「そうやろ。10日ということは小潮や」

五十嵐「いや、それがわからんのです。10日は小潮って決まっているんですか?」

高尾さん「あんた、そんなことも知らんのか?父親に習わんだか?」

五十嵐「はい…。父親、漁師でないもんで教えてもらえんでした」

高尾さん「潮ちゅうのはな、夜に出るお月さんと一緒や。お月さんは15日かけて満ちて、15日かけて消える。これを繰り返しとるわけや。それでちょうど1ヶ月や。旧暦だと1日ごろが大潮。大潮ゆうんは一番潮が動く時な。そこから15日かけて小潮になるわけや。せやから10日は潮がそんなに動かん、満ち引きの幅が狭いわけや。そこからまた15日かけて、大潮に向かっていくわけや。それで、6時間かけて満潮になって、6時間かけて干潮になる。これがもう一回ある。それでちょうど24時間やろ。これで1日ということや」

五十嵐「…なんか分かったようで、旧暦を見ても潮が満ちる時間はいっこうに自分にはわからんのですが(笑)。とにかく、旧暦の日付を見れば、大潮や小潮、潮の満ち引きが分かるようになってるんですね。そう考えると、旧暦ってすごいな。潮を読むための暦なんですね」

高尾さん「そうやな。日本は海に囲まれた島国やからな。当然、潮を読まんと暮らしていけんかったわけや。祭りやなんかもみんな旧暦でするやろ」

五十嵐「じゃあ、日本人にとって、この島国の四季の変化や潮の満ち引きといった自然の環境を本当に理解して向き合い暮らしていくには、旧暦の方が合っているってことですよね」

高尾さん「そうゆうことや。漁師はみんな旧暦がないと困る。漁協で配るカレンダーにも必ず旧暦が入っとるもんな」

五十嵐「なんか旧暦の方が大事ですね。旧暦復活させたいですよね」

高尾さん「そうやな(笑)。漁師は助かるわな(笑)。あとな、同じ潮でも、月の出とる時と出とらん時は、少し潮の速さが違うんや。お月さんのあるときは潮が速い。闇夜の潮はぬるい。それと、じいさんたちがよう言っとった昔の話やけどな、月がな、こう皿の受けるような格好(三日月が真横を向いている状態)で満ちていく月は雨が多くてな。こう縦に満ちていく月は雨が少ない。とかな。そんな話もある。あと台風も決まって大潮の時にしか来ん。それで今度の台風は大丈夫やとか、今度は用心せんといかんとかな。わしは潮を読んで台風予想もしとる。」

 

この島国で生きる以上、潮が読める男になりたい。月や星を読み解ける人になりたい。そう思う。まずは旧暦のカレンダーを手にいれるところからはじめようかと思う。さて、ここしばらく月も見ていないな。今夜の月はどこでどんな形をしているかな。

 

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全部で165綛あった綛糸も残り30綛くらいに。赤が人気で赤の減りが早い。

 

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沙弥島の網も順調に伸びています。

 

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潮が読める人たち。

 

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18日が10日です。

 

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漁師と暦。

 

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沙弥島の女性もやはり編めます。


字が書けなくなっても、網はすける。

沙弥島滞在16日目。今日は瀬居島の竹浦地区でワークショップ。瀬居島では島で1枚の網を仕上げるのに、3つの地区(本浦・西浦・竹浦)を循環ながら網を伸ばしていっているのだが、今日の竹浦には14名もの方が地元から参加してくれた。1つの島の1つの地区の平日13時〜開催のワークショップにも関わらずである。すごいことだと思う。

 

しかも、ここ竹浦に集った方々は男性も女性も全員が、普通に網が編めるのである。なぜなら基本的に男性は漁師で、女性は漁師の嫁だからである。そして子供の頃から中学生くらいになると家族の手伝いで編んでいたそうだ。

 

編みかけの〈そらあみ〉を広げて準備をしていると、徐々に地元の人の手が動きだし、編みはじまる。

 

女性「きれいやわ〜」

女性「ほんまにな。きれいな網やわ〜」

男性「去年よりも人が寄っとるやろ」

男性「去年ちゃうわ。芸術祭は3年前や」

男性「懐かしいのう。あれから、もう3年も経つんかの。そんな感じせんなぁ」

 

黙々と編み進む時間が流れる。

 

男性「しっかし、静かやのぅ。こないに静かなのは、みな真剣に編んどるゆうこっちゃ(笑)。人がここに寄っとって、こないに静かにおることないで(笑)」

男性「ほんまや。ほんまや(笑)」

男性「しっかし、暑いのう。窓開けぃ。一生懸命編んどると暑うなるわ(笑)」

男性「網すく(網編む)と暑うなるな」

女性「あんた着すぎや。1枚脱いだら?(笑)」

 

一時の会話が過ぎると、再び黙々と編み進む時間が流れる。

 

女性「こないに家族にも怒られんで編めるの楽しいわ」

五十嵐「え!なんで網編んで怒られるんですか?」

女性「そりゃあんた。昔は、こうして網を編んで魚獲ってたやろ。網つくるんは真剣そのものやったんや。網の目がずれたとか、結びの締まりが悪いとか、ほんまよう家族に怒られとったわ」

 

3年前の竹浦で聞いた言葉を思い出した。

 

「米つぶひとつ分ずれたらもう網とは言えんな。」

 

その理由は、網の強度の話になる。網は魚を獲る時に網全体に均一に負荷がかかるため何百キロ、何トンという重さになっても破けることはない。そのポイントとなるのが、均一な網の目の大きさなのである。仮に一枚の網に小さな目の部分と大きな目の部分があったとする。その網で魚を引き上げると、自然と負荷は網の目の大きな部分にかかる。すると一箇所に多くの負荷がかかることになり、網が破けて魚が逃げるという話である。

 

なので、網の目が違うとか、ズレるとか、ということは、生きることや暮らしに直結する死活問題なのである。「こないに家族にも怒られんで編めるの楽しいわ」の理由はそこにあったのだ。

 

そんな話を横で聞きながら、みんなが編んでいるのを眺めたり、電話して「公民館でそらあみ編んどるよ。来んね」と友達誘ったりしている、一人のおじいさんがいた。その人こそ、3年前「米つぶひとつ分ずれたらもう網とは言えんな。」の話をしてくれた方だ。

 

今年で86歳。瀬居島の竹浦では、漁師の大元の本家筋の方で、漁師の大親分さんといった存在感のある方である。女性陣(70〜80代女性)には「あにさん」と呼ばれている。この「あにさん」の呼び方が、文字では表現しづらいのだが、またなんとも京言葉のようで格好が良いのである。この女性陣からの呼ばれ方で分かるように、土地の大黒柱としてたくさんの魚を獲ってきたことが容易に想像できる。

 

男性「なぁ。あんたは編まんのか?」

あにさん「右手が言うこと聞くかどうかやな」

 

歳を重ねたあにさんの右手には痺れがあり、自由に動かすことができなくなっていた。

 

あにさん「それなら、ちと、すいて(編んで)みようかの」

 

それが、どうしたことか、誰よりも早く美しく網が編まれていった。

 

あにさん「筆が持てんで、文字も書けんようになったのにな。網はすけるわ」

 

流石であった。

 

男性「すごいのう。体に染み込んどるんやのう。文字書けんでも網そんだけすけるんやからな(笑)」

女性「あにさん。よかったなぁ」

 

働き者の手は、ちゃんとそれを記憶していた。

 

竹浦での〈そらあみ〉は、そんな働き者の手がたくさん揃った回となった。

 

 

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あにさん。

 

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女性陣も編めます。

 

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黙々と、真剣に編まれていきます。

 

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この網に対する真面目さが竹浦の特徴なのかもしれません。

 

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あにさんの手。働き者の手。文字が書けなくなっても、網はすける手。

 

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さすがは漁師。「今日は風が強なったから沖には出ん」とのことで、15時ごろにはビールとつまみが出てきて、「油をちいと足して、もう少し編もうかの」。


北海道の鮭網は、瀬戸内の鰆網。

沙弥島滞在15日目。今日は瀬居島でワークショップ。瀬居島は〈そらあみ〉を編む与島五島の中では、人も漁師も多い島で、本浦、西浦、竹浦と3つの地区を回りながら制作を進める。今日は午前中は本浦、午後は西浦、といった形で瀬居島の2つの地区で、〈そらあみ〉ワークショップを行った。

 

本浦でのワークショップに、島の人ではなさそうな雰囲気の女性が2人参加していた。話を聞くと、本浦の自治会長の友人で、誘われて来ました。とのこと。今は2人とも高松市内に住んでいる。だがその内の1人の方が、北海道は釧路の出身で、なんと、40代の頃、アルバイトで網を編んでいたというのだ!しかも5年くらいそのアルバイトをしていたそうだ。なので、それを知っていた自治会長が話をしてくれ、久しぶりに網を編みたくて、わざわざ来てくれたのだ。もちろん編み方の説明をする必要もなく、上手に編まれていた。

 

この方が釧路でのアルバイトで編んでいた網は鮭(サケ)を獲る網で、こうして〈そらあみ〉のように新しく網を編むのではなく、漁で破れた網を修復するのが仕事だったのだそうだ。

 

そんな話をしていると、70〜80代の漁師さんが、「昔、この辺りのナガセ(流しさし網のこと。香川県の鰆(さわら)の漁法)はな。北海道のサケ網を使うとったんや」と語りはじめた。

 

五十嵐「え?!なんで北海道の網を使っていたんですか?」

年輩漁師「サワラとサケと、ちょうど同じくらいの大きさやろ」

五十嵐「なるほど!魚の大きさがサケとサワラと同じくらいだから網の目がちょうど良かったわけですね」

年輩漁師「そうや」

五十嵐「それじゃあ。あの釧路の方がアルバイトで修復したサケ網を使っていた可能性もあるんですかね?」

年輩漁師「それはないな。なんでか言うと、壊れたんを安う買うとったからや。それを自分らで直して使うとったんや」

 

それでも、北海道のサケ網だったものが、その後、瀬戸内のサワラ網になっていたとは、非常に面白い。網で釧路と瀬戸内が繋がっていたのだ。

 

それも、今日、釧路出身のあの方が編みに来てくれなかったらこんな話にはならなかった。

 

午後に西浦の年輩漁師漁師さんにも「ここいらのナガセは北海道のサケ網を使っていたんですか?」と聞いてみると。

年輩漁師「おお。そうや。昔はオウ(麻)から糸をこさえて網にしよったけどな。そのあと、うちの地区のもんがな北海道に親戚がおってな。そん人がいらなくなったサケ網を安う買うてきてな。それがオウの網より、3倍くらいサワラがぎょうさん獲れてな」

五十嵐「なんで3倍も獲れたんですかね?」

年輩漁師「サワラは魚の中でも目が良いでな。オウは糸が太いやろ、その頃、北海道のサケ網はナイロンやったから、オウより見えんでな。それで、ようけサワラを獲りよったわ」

 

どうやら北海道のサケ網は、瀬戸内でサワラ網となり、たくさんの瀬戸内の漁師を喜ばせていたようだ。

 

〈そらあみ〉を編んでいて、北海道のサケ網と瀬戸内のサワラ網がつながったワークショップとなった。

 

北海道かぁ。そう言えば、まだ上陸したことがないなぁ。アイヌの人とかと一緒に〈そらあみ〉編んでみたいなぁ。

 

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本浦にて。網を編むのはサケ網以来です。

 

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本浦にて。昔はこうして、瀬戸内の島では家族で編んでいたそうです。

 

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西浦にて。さすが漁師が多い地区。ずーっと網が伸びていきます。

 

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静かになると「おい!だれかなんか言え」というくらい沈黙を嫌い、会話を好みます。

漁師「この網やったら、目立つからサケもサワラも獲れんわ〜!鳥も目がええから、このド派手な網にはかからんやろ(笑)」

漁師「なあ。にいちゃん。この網がアート言う名前なんか?」

五十嵐「この網は、〈そらあみ〉というアートの一つです」

漁師「じゃあ。アートは、なんて意味なん?」

五十嵐「アートは日本語だと芸術になります」

漁師「じゃあ今、わしは芸術しとるんやな」

 


与島のマー君。編むのが得意な人も苦手な人もいるからいい。

沙弥島滞在14日目。今日は与島でワークショップ。〈そらあみツアー〉ではないので一般参加はなく、島の人と自分たちだけで編む日。13時に与島へ。与島の網は順調に大きくなっている。

 

与島の〈そらあみ〉制作に参加してくれている方の中に、マー君がいる。マー君は網を編むのは今年が初めて。あまり編むのは得意ではなく、編んでは間違いを見つけ、そこまで解いて戻るというのを繰り返す。それでも、声がとっても大きくてユニークなのでみんなの人気者でもある。

 

島の人「マー君。また、間違えとるん?」

マー君「そうや。また間違えとる。もどらなアカンわ。ええとこまできよったのに」

島の人「あんた覚えたんちゃうんか(笑)」

マー君「寝たら忘れたわ」

島の人「んじゃもう、先に寝とき(笑)」

マー君「来年までにはバッチリ覚えとるわ」

島の人「あんたな、芸術祭は来年はないんよ(笑)。次編むんはまた、3年後やよ」

マー君「そりゃ、かなわんわ。忘れとる(笑)」

 

一同大爆笑。といった会話で毎回みんなを和ませてくれる。

 

正直、これだけ編むのに苦労すると、来たくなくなってもおかしくはないのだが、マー君は毎回編みに来てくれる。自分はそんはマー君のような存在が好きである。実は他の島のワークショップの現場にも毎回、編むのがあまり得意でない人がいる。

 

網を編むという効率だけ重要視するのであれば、もちろん編むのが早いに越したことはないのだが、編むという場を大切にしたいので、編める人から編めない人までの幅が、その場にはあった方が良いと自分は思っている。そして何より、マー君がいると、会話が弾み、場が明るくなり、みんな笑顔で編むことができる。

 

島の人「あんたがいてくれると、ほんと助かるわ。楽しゅうて、笑いが止まらんわ」

島の人「なかなか進まんけどな(笑)」

マー君「うるさいわ。これでもだいぶ、ましになったわ(笑)」

島の人「あんた漁師やったら、今日は日当なしやで(笑)」

マー君「漁師やったら、もっと編めとるわ!」

島の人「ほんまや!(笑)」

一同大爆笑。

 

編むのが得意な人も苦手な人もいるからいいのである。マー君はおそらく、編んでいる時間より、解いている時間の方が長い。編みに来ているというより、解きに来ているとも言える。しかし、マー君の存在は大切なことを気づかせてくれる。

 

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マー君「あ!また一個まちがえた!もどらなあかんわ〜」

 

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与島の駐在さんも編みに来てくれました(笑)。さすが島!自治会長に道で会って「あんたも編まんか!」と誘われたそうです(笑)