五つの島へ挨拶まわり

沙弥島滞在2日目。「そらあみ〈島巡り〉」の春会期は、与島諸島の5つの島の方々と一緒に漁網を編む。まずは各島の自治会長へ挨拶まわり。

 

この与島五島は元々島ではあるのだが、1978年から1988年にかけて約10年かけて作られた瀬戸大橋によって、ある意味、島でなくなった島とも言える。瀬戸大橋の袂、番の州工業地帯の埋め立てで地続きになった沙弥島と瀬居島。瀬戸大橋の橋脚を支え、結果として橋でつながった与島と岩黒島と櫃石島。

 

故に、各島への挨拶まわりは、船ではなく、車で回る。もちろん3年前の瀬戸内国際芸術祭2013でもそうだったのだが、車で海を越え、島に入っていく感じはなんとも不思議な感覚である。

 

しかし、地続き、橋続きになったとはいえ、やはり土地の持つ力なのか、濃度は違えど、やはりこの各島には島時間と言ったらよいのか、ゆっくりとした時間が流れている。軒先で日向ぼっこする、おばあちゃんたち。ゴロゴロとのどを鳴らして近づいてくる猫たち。港に2〜3人集まって、タバコをふかしながら船を眺めて何やら話しをしている漁師たち。サンゴで飾られた小さな恵比寿神社。漂流物で作られたベンチ。港に浮かぶ小舟。遠くに見える島々。行き交う船。

 

島を歩いていると、海に囲まれた日本という島国で、日本人が豊かに生きることとは、こういうことなのだとある種の普遍性にあらためて気づかされる。

 

さらに面白いのは、すぐ隣の島にも関わらず、5つの島の人の雰囲気というか、性格というか、特徴が違うのだ。挨拶まわりで、いっぺんに5島を回ると、その違いが明らかなのが分かる。

 

漁師らしく荒々しい島。家族のようなあたたかな島。お母さんのようなやさしい島。組織的でクールな島。歴史深く話しが長くなる島。どこも魅力的なのだが、お隣の島なのにこんなに雰囲気に違いが出るのは、やはり海という流動的な存在で、隔てられつつもつながっているという、島ならではの文化形成の特徴なのかもしれない。

 

各島の自治会長とは、3年ぶりの再会となったが、「はじめまして」と「ご無沙汰してます」の違いは大きい。

 

3年ぶりにもどってきた与島五島は、心の中で「ただいま」の言える島になっていました。

 

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3年前、漁師の洗礼を受けた櫃石島(笑)。「おう!何しに来たんや。もう網は編まんで〜」と歓迎される。

 

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櫃石島。漁港と瀬戸大橋。

 

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与島。静かな港。

 

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与島。ばあちゃんたちがひなたぼっこ。

 

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与島にて。今日は節分。婦人会の方々が恵方巻きを手作りして島内一人一人にお届けとのこと。なんともうらやましい!と思っていたら、「食べて行きなさい」とありがたいお言葉が!恵方巻きとっても美味しかったです!ごちそうさまでしたー!

 

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瀬戸大橋。

 

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与島。石切の島の石の上に漂流物の板で出来たベンチ。まさに与島らしいベンチである。

 

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瀬居島にて、自治会長さんたちとご挨拶。最初はやはり緊張します。土地への入り方大事です。

 

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瀬居島にて。こちらにもなんと!というか、やはり!というか恵方巻きが!しかしお腹の中は与島の恵方巻きでパンパン。ひとつだけいただきました!漁師の多い瀬居島の恵方巻きはアナゴ入り!ごちそうさまでした!


瀬戸内国際芸術祭2016に向けて、3年ぶりに再び沙弥島入り

沙弥島滞在1日目。瀬戸内国際芸術祭2016に参加するため再び瀬戸内海へやってきた。前回は、ちょうど3年前の2013年、春会期に沙弥島に〈そらあみ〉を出品した。与島諸島(沙弥島・瀬居島・与島・岩黒島・櫃石島)の130人の漁師と一緒に編んだ色鮮やかな網が瀬戸内の空に上がり、捉えた風景は今も鮮明に覚えている。

 

2016年の今回は、春会期に「沙弥島」、秋会期に「本島」と2つの島での出品となる。

 

作品のタイトルは「そらあみ〈島巡り〉」。以下、作品コンセプト

 

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瀬戸大橋でつながる沙弥島、瀬居島、与島、岩黒島、櫃石島の5つの島で漁網を編むワークショップを開催。島に暮らす漁師や、集った人々で協働する。そして空に向かって垂直に、波打ち際に設置。風や雲や日光といった天候の移り変わりと潮の満ち引きによって見えかたが刻一刻と変化していく様子を鑑賞者は網越しに眺める。

漁網を編むことで、人と人をつなぎ、海や島の記憶をつなぎ、完成した網の目を通して土地の風景をとらえ直すという目論み。今回、新たに加わった潮の干満という要素によって、海から陸へと移行した我々の中に眠る海の記憶がより刺激されることを期待する。

秋会期には本島に渡り、新たに本島でつくられた漁網を連結。行政区分を超え、島から島へ海のつながりを編み広げていく。

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2013年の〈そらあみ〉を更に展開させる挑戦である。〈島巡り〉という副題に込めたものは、まず、与島諸島の5つの島を、前回同様にキャラバンスタイルで巡って〈そらあみ〉を編むということ。次に、今回は「そらあみツアー」というものを開催し、坂出市内に暮らす一般参加者がバスで島に渡り、島の人たちが先生になり〈そらあみ〉を編み、人のつながりを広げると共に島の魅力を知ってもらう機会を設ける。そして、秋には海を渡って、ちょうど与島諸島の向かいとなる本島で〈そらあみ〉は本島で編まれたものと合体し、成長していく。本島と与島諸島で編まれた網が合体するときには、海の向こうから自ら編んだ網をつなぎに船で登場する与島諸島の漁師さんたちの姿を思い描いている。

 

まとめると〈島巡り〉には3つの巡りがある。

 

ひとつは、〈そらあみ〉の制作しながら島を巡るということ。

ひとつは、市内の一般の方々が〈そらあみ〉をきっかけに島を巡るということ

ひとつは、〈そらあみ〉自体が、春の沙弥島から、秋の本島へ島を巡るということ

 

「巡る」には、一周するように回る。回ってまたもとにもどる。あちこちを周り歩く。まわりを囲む。取り囲んである。などといった意味の他に〈あることを中心としてつながり合う〉という意味がある。

 

私は、海に浮かぶ島と島との関係には、中心という概念が基本的には、存在しないように思う。海で世界とつながっているため、逆に自分のいる島が常に中心になりうるような気がする。「そらあみ〈島巡り〉」は、そんな島で編む〈そらあみ〉の関係性を中心として、海を越えてつながり合うことを目指す。美しく類稀なる多島海である瀬戸内の海の上にまさにネットワークが広がっているイメージである。

 

沙弥島作品イメージ_s

春会期〈2016年3月20日[日・春分の日]—4月17日[日]29日間〉沙弥島展示イメージ

 

本島作品イメージ_s

秋会期〈2016年10月8日[土]—11月6日[日]30日間〉本島展示イメージ


展示実験

La Mano 9日目。朝9時La Mano到着。今日は雨。予定していた50綛分の糸が昨日に染め終わったので、今日は、展示のための設置実験を行った。

 

藍染めした糸を使って水平線を描き出すために、8メートルの間隔で糸を張っていった。織り工房「セグンダ」の2階での作業。1階では杉尾さんたちが織りをして、宇佐美くんが今回一緒に藍染めした糸を巻いて糸玉をつくっている。自分はすぐ上の2階でその糸を張っている。

 

途中、宇佐美くんが出来上がった糸玉を持ってきてくれた。

 

やすあきさん「宇佐美くん。糸玉つくってもってきてくれたんだね!ありがと!」

宇佐美くん「…はい。これ」

 

糸を受け取り、なにかがつながった気がした。自分の作り出している風景がLa Manoの作業の一部になっているような感覚になった。

 

この雰囲気をTURNフェス本番につくり出したい。

 

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今回、藍染めした糸を熟練の技術で糸玉にしてくれている。

 

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均一のテンションで糸を張ります。

 

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藍糸の水平線は連続して水面となる。

 

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下から、糸方向に見るとこんな感じ。

 

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角度をつけると色が濃くなったり見え方が変わります。

 

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空調や歩く振動で揺れるとまさに水面のように見えます。

 

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この抜けた水面下が、守られているような、やけに心地よい空間になります。

 

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なんだか、この下から出たくなくて、しばらくみんなで過ごしました(笑)


枝松さんと染める〈La Manoの歴史〉、杉尾さんと染める〈記憶の証〉

La Mano 8日目。朝9時La Mano到着。今日も糸染め小屋(やすあきさんの部屋)で、綿糸を藍染めした。午前中は枝松さんと染めて、午後は杉尾さんと染めた。今日は昨日までの男性たちとの雰囲気とはうって変わって、2人とも女性だったせいなのか、たくさんの会話が生まれた。

 

枝松さんの障害はダウン症。自分のいとこのお姉さんもダウン症で、小さい頃から普通に一緒に遊んで育ったので、自分の中では距離感の近い障害とも言える。一緒に染めながらたくさんの話を聞かせてくれた。枝松さんは、水戸黄門と大岡越前と、ジャニーズと氷川きよしと、梅干しとキムチが好き。とろろ芋は、かぶれるから苦手。ということが分かった。

 

そして、彼女はお茶目な一面を見せる。藍甕に糸が沈んで回収できなくならないように、竹の棒を使うのだが、おもむろにそれを持って口に近づけながら向こうにかざして「吹き矢!!!」といって、ケラケラと笑っている。「水戸黄門、よく見てるからね!あはははは!」こっちもそのチャーミングさに吹き出して、一緒に笑った。そんな調子でみんなを笑顔にしてくれるのが枝松さん。

 

実は彼女のLa Mano歴は、なんと24年。La Manoが出来てから今年で25年になるのだが、1年目は準備の年だったので、実は最初の一人が枝松さんだったのだ。今はメンバーとスタッフとボランティアと合わせて毎日40人ほどの人が出入りするクラフト工房だが、最初は枝松さん一人からはじまったのだそうだ。故に彼女はLa Manoの歴史そのものとも言える。人が増えたのは楽しいと言っていた。彼女の明るさもまたLa Manoに人を引き寄せる魅力になっているのだろう。

 

午後は、杉尾さんと染めた。杉尾さんは高次脳機能障害で記憶に障害がある。普段は織りを担当している。話をするのはほぼ初めてだった。挨拶をして染め方を伝え、一緒に染めていく。作業も順調。会話も普通に成立する。いったいどこに障害があるのか分からない。

 

杉尾さん「やすあきさん」

やすあきさん「はい。やすあきさんです」

杉尾さん「すいません。明日になったら忘れてしまってるので、、、ほんとすいません」

やすあきさん「いえいえ。気にしないでください」

杉尾さん「藍染めって、甕から出して絞ると緑色してるんですね」

やすあきさん「そうなんです。このあと水洗いするともっと藍の色が鮮明に現れますよ」

杉尾さん「へぇ〜。そうなんですね」

 

5分後次の糸を染める。

杉尾さん「やすあきさん」

やすあきさん「はい。やすあきさんです」

杉尾さん「すいません。明日になったら忘れてしまってるので、、、ほんとすいません」

やすあきさん「いえいえ。気にしないでください」

杉尾さん「藍染めって、甕から出して絞ると緑色してるんですね」

やすあきさん「そうなんです。このあと水洗いするともっと藍の色が鮮明に現れますよ」

杉尾さん「へぇ〜。そうなんですね」

 

再び5分後次の糸を染める。

 

杉尾さん「やすあきさん」

やすあきさん「はい。やすあきさんです」

杉尾さん「すいません。明日になったら忘れてしまってるので、、、ほんとすいません」

やすあきさん「いえいえ。気にしないでください」

杉尾さん「藍染めって、甕から出して絞ると緑色してるんですね」

やすあきさん「そうなんです。このあと水洗いするともっと藍の色が鮮明に現れますよ」

杉尾さん「へぇ〜。そうなんですね」

 

どうしても同じ会話になってしまう。しかし彼女にとっては新鮮さがあり続けているようだ。なんとなくだが、わかってきた気がした。

 

杉尾さんは大学時代はアメリカのカリフォルニアに留学していた。その頃の記憶はしっかりと残っており、いろいろ話しを聞かせてくれた。その後、記憶の障害になり、覚えていられなくなってしまったそうなのだ。でも言われてみないと分からない。不思議な感覚だった。

 

やすあきさん「たまに覚えていても忘れたふりとかしないんですか?」

杉尾さん「あ!それ、まだしたことないな」

 

そんな、正直な人が杉尾さん。

 

杉尾さんが糸を藍染めしながら言う。

 

杉尾さん「わたし、こうして染めの仕事ができる人たちってすごいと思う」

やすあきさん「なんでですか?」

杉尾さん「だって、わたしにとっては、この作業はどこまでできたのか。どこまで進んだのか分からない」

やすあきさん「あ!なるほど!この作業は確かに同じことの繰り返しだから、目に見えてくる作業風景は昨日も今日も明日も変わらない。ある種の永遠がそこにはありますもんね」「杉尾さんが、織りの仕事をしているのって、織りながら、その日どこまで進んだのか、自分の仕事の成果が目で見てすぐに分かるからなんですね」

杉尾さん「そうなの。でも次の日になると織られたそれが何だったのか忘れちゃうから、杉ノートというのがあってね。どこまで織ったのか、今日何があったのか、全て書いておくようにしてるの。そして次の日にそれを見れば、自分が何をしていたか分かるというわけ」

やすあきさん「そしたら、極端な話。その杉ノートを読み返せば、昨日の自分も、一昨日の自分も、一週間前の自分も、もっといったら一年前の自分も振り返ることができる。それって、そのノートが杉尾さんの人生そのものとも言えますね!」

杉尾さん「そうなの。だから杉ノート、とっても大事なの」

 

杉尾さんは、明日になったら、やすあきさんのことも、一緒に藍染めしたことも忘れてしまっている。杉ノートに今日のことを書いてくれただろうか?

 

美しく、藍に染まった糸だけが、彼女と自分が同じ時を過ごした証なのだ。

 

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朝の掃除の時間。

 

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枝松さんと絞る。

 

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La Manoのはじまりを知る人と干す。

 

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いろんな藍の色幅で染めます。


宇佐美くんと染める〈鼻歌〉、玉置くんと染める〈告白〉、西沢くんと染める〈引き継ぎ〉

La Mano 7日目。朝9時La Mano到着。昨日と同様に、着替えて、掃除をして、ラジオ体操をして、朝の会をして、1日がスタートした。掃除の場所は、なんとなく糸染め小屋と織り工房〈セグンダ〉の間の道の落ち葉掃きを、メンバーの遠藤さんと一緒にするのが定番になった。遠藤さんは責任感が強く、頼まれるとしっかり答えてくれる人。そして、ちりとりを使うのがとても上手だ。自分は、ほうきで落ち葉を掻くのが好きなので良いコンビが結成された。

 

朝の会でみんなと同じように「やすあきさん、染め」といった具合に、名前と仕事の割り振りを聞き、「はい」と手を上げて返事をし、日直の「今日も1日よろしくお願いします」に対して、みんなは「よろしくお願いします」と挨拶をして、10時頃には、染め、織り、絞り、アトリエといった、それぞれの持ち場で制作がはじまった。

 

自分は昨日にひきつづき、メンバーさんと一緒に糸染めを行った。午前中は宇佐美くん。午後は玉置くん。夕方は西沢くんと染めた。メンバーさんが交代で一人ずつ糸染め小屋に来て、一対一の2人きりで糸染めをするので、さながらご長寿トーク番組「徹子の部屋」ならぬ「やすあきさんの部屋」状態である。いうまでもなくトークは、ほぼ盛り上がらないのだが、、、。かわりに、藍染めという共同作業を通して言葉ではないものの交換が行われる部屋となった。

 

宇佐美くんは、普段は織り工房〈セグンダ〉入り口の専用の机で糸巻きをしている。それが彼の主な仕事で、染色された綛の状態の糸を、糸巻き器で糸玉の状態に整形する達人である。宇佐美くんが巻いた糸玉を使うと仕事がしやすいと織り工房の中でも評判である。故に普段は、藍染めはしない。だが、見た目も硬さもちょうど良い美しい糸玉をつくることから分かるように、宇佐美くんは器用で仕事が丁寧。且つ、体も大きく力持ち。最初だけやり方を教えてもらったら、すぐに藍染めの作業内容を覚え、黙々と染めていた。タイマーを5分にセットしてスイッチを押し染色開始。静かな時間が流れる。宇佐美くんは時々、鼻歌を歌う。会話はない。5分経って、糸を藍甕から引き上げて、硬く絞る。ぎゅーっと絞って、茶色い藍の染料が落ち、次の瞬間、糸は緑に発色する。力持ちの宇佐美くんは絞るのもまた上手い。絞ったものを干して空気に触れさせ、酸化させ藍をより発色させる。これを午前中いっぱい宇佐美くんと2人で繰り返した。時折、鼻歌を聞きながら。

 

午後は玉置くんと染めた。玉置くんは、ゆっくりした落ち着いたリズムを持っていて、寡黙で繊細な男だ。お昼ご飯で同じ机になったりしたことはあったが、会話をしたことはほとんどなかった。玉置くんの癖は、歩いていて気になると、机の上に置いてあるものや、タンスの引き出しなどを微調整して向きを直す、もしくは配置を正す、という独特のもの。何枚も積んであるチラシのズレをきちっとしたり、机の引き出しがちゃんと奥まで入っているか丁寧に確認している姿はこれまで何度か見てきた。どうやらモノの向きや、位置がしっかりとしていないと気になってしまうようだ。そんな繊細で几帳面な部分がある。なので染めの作業は安心して見ていられる。鳥の鳴き声と、糸と藍の染料液が触れ合う音しか聞こえない時間がしばらく続いた。

 

やすあきさん「玉置くん、じゃあ次は、糸を絞ります」

玉置くん「糸、絞ろうかぁ」

やすあきさん「うん。糸、絞ろう」

玉置くん「糸、絞れるかなぁ」

やすあきさん「そう上手、上手」

玉置くん「上手かなぁ」

やすあきさん「じゃあ次は、糸を干しにいこうか」

玉置くん「糸、干そうかぁ」

やすあきさん「うん。糸、干そう」

玉置くん「糸、干せるかなぁ」

やすあきさん「そう上手、上手」

玉置くん「上手かなぁ」

 

なんだか、ゆったりと、あたたかい会話になった。

 

再び、沈黙の中、二人で染めていると、突然、玉置くんが一言。

 

「やすあきさん。すき」

 

なんて答えていいか分からず、しばらく黙ってしまった。ここのところ、誰かに告白されることもなかった。しかも突然だったので。。。でも嬉しかった。純粋な気持ちだけが伝わって来たようで、なんだか胸があたたかくなって。。。やすあきさんが一言。

 

「玉置くん。ありがと」

 

再び、二人は沈黙の中、糸を藍に染め続けた。

 

夕方からは、西沢くんと染めた。西沢くんは、藍染めの経験も豊富で、糸を藍染めしたこともあり、頼れる存在。以前にすくも練りを一緒にやったのも西沢くん。

 

やすあきさん「西沢くん。前にすくも練り一緒にやったね」

西沢くん「やすあきさん。一緒にやったね」

西沢くん「やすあきさん。今日は藍染め一緒にやるね」

やすあきさん「藍染め、一緒にやろうね。よろしくお願いします」

西沢さん「はい。よろし、く、おねが、します」

 

さすがは経験者、見事な手つきで作業をしている。特にこちらが言うこともない。西沢くんのエプロンに書かれた「藍染めプロ!」の直筆の文字は嘘ではない。

 

3時半になると、片付けをはじめて帰りの準備に取りかかる。そのことを分かっていたので声をかけた。

 

やすあきさん「そろそろ3時半だし、終わりにして片付けしようか」

西沢くん「まだあと少し、染め、まだ終わってない」

やすあきさん「あと、何回?」

西沢くん「これ、あと2回」

やすあきさん「でも、それ時間かかっちゃうよ」

西沢くん「残業。いいよ」

やすあきさん「残業?ほんとに?いいの?」

西沢くん「いいよ。残業。するよ」

 

このあと、帰りの時間が近づいて、だんだんと西沢くんに焦りが出てきたのが分かった。別のスタッフの方が、「西沢くん。まだやってるの?もうお仕事終わりだよ。帰る準備しようか」と声をかけてくれた。しかし西沢くんは「これ、藍染め、あと、少し」と明らかに焦りながら作業をしている。スタッフの方はそれを見かねて「そしたら、続きは僕が引き受けたから、着替えていいよ」と声をかけてくれた。すると、西沢くんくんは、作業をすぐに止めて「やすあきさん。おつかれ、さま」と言って、急いで着替えにいった。

 

きっと、藍染めプロ!で、責任感のある西沢くんは、引き受けた染めの仕事の全てを終えるまで、帰れなくなってしまっていたのだ。自分が「あとは引き継いだから」と一言、言えれば、西沢くんはあんなに焦ることもなかった。気がつかなかった。西沢くんの、ちゃんと染めをやりたい気持ちと、帰りの時間が来て帰りたい気持ちと、その両方があったのだ。次は気がついて言えるようになりたい「あとは引き継いだから大丈夫」とその一言を。。。

 

やすあきさんの部屋。今日のゲストは3人。あの糸染めの小屋で、メンバーさん、ひとりひとりと向き合う時間は、自分自身と向き合う時間でした。

 

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鼻歌が聞こえる。

 

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織り工房「セグンダ」前の新しい風景。

 

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お昼休みはストーブに集まって雑魚寝。この感じが好きです。

 

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繊細に、棒の位置を修正する。

 

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「やすあきさん。すき」まさかのうれしい告白(笑)。なんか感涙でした。

 

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藍染めプロ!です。


平野くんと染める〈魔法の言葉〉

La Mano 6日目。朝9時La Mano到着。着替え、掃除、ラジオ体操、朝の会といったいつもの朝の一連の流れがあり、10時頃には、染め、織り、絞り、アトリエといった、それぞれの持ち場で制作がはじまる。

 

自分は、織り工房「セグンダ」前に昨日建てた糸染め小屋に移動し、施設長の高野さんに綛(かせ)の状態の綿糸の藍染め方法を実演してもらい、それに習って自分も染めて、丁寧に作業工程を教えてもらった。

 

糸染め小屋には、藍甕が4つ用意してあり、藍の色が濃い甕が2つ、薄い甕が2つ、といった割り振りになっており、これを駆使して、上手に色を重ね染めして水色くらいの藍から濃紺くらいの藍までの大きく5色くらいのグラデーションになるように1綛ずつ、それぞれの濃さで染める。ちなみに今日から4日間の間に50綛染める予定。

 

染色方法を習いながら、途中、明日以降に染色する糸の精練(樹脂抜き)も同時進行で行ったので、あっという間にお昼になった。

 

「いただきます」の挨拶をして、昼食をみんなでそろって食べて、「ごちそうさま」の挨拶。13時までの時間は、昼寝やおしゃべりなど各自で自由に過ごす。みんなが縁側や畳(たたみ)でごろごろして過ごすこの時間は、ゆる〜い空気が流れ、けっこう好きな時間である。それでも13時になるとみんなピシッと動き仕事をはじめる。

 

自分も糸染め小屋にもどって続きの作業をしていると、施設長の高野さんが一人のメンバーさんを連れてきた。

 

高野さん「やすあきさん。午後からは、さっそくですが平野くんと染めましょう」

やすあきさん「あ!はい。わかりました」

高野さん「平野くん。じゃあエプロンと手袋しにいこうか」

平野くん「うん。いいよ」

 

平野くんは、どちらかというと時々落ち着きがなくなるタイプ。La Manoでは一番よくしゃべるし声もよく通るムードメーカー的な印象がある。あとは言葉遊びが上手で、韻を重ねるような耳に心地よく、また意味深なフレーズが時折飛び出す。そんな美しくリズミカルな言葉を使う人が平野くん。

 

高野さん「じゃあ平野くん、ここに座って、糸をこうしてゆっくり送るようにして染めます。わかった?」

平野くん「うんうん。わかるよ。やったことあるよ、これ」

高野さん「もう10年以上前の体験の時でしょ(笑)」

 

しばらく平野くんの様子を観察して、高野さんは別の仕事をしに行ってしまった。糸染め小屋の中には、平野くんと自分だけがいた。これまでほとんど会話をしたことがない2人。そもそも、会話がうまくいくのだろうか?というか不安定になって発作か何か起きたら、対応できるだろうか?大丈夫だろうか?正直自分は緊張していた。

 

平野くん「…………(時折、小刻みに前後に頭をゆらしている)」

やすあきさん「…………」

平野くん「…………(時折、動かなくなって遠くを見ている)」

やすあきさん「…………」

 

藍甕の染料に糸が触れる音と、鳥の鳴き声以外の音が聞こえない。静かな時間がしばし流れた。何を話せばいいのか分からなかった。ただただ黙々と染めていた。でも途中から、そもそも会話でコミュニケーションする必要なんてあるのだろうか?と思いはじめた。隣の藍甕で同じ手仕事をしてお互いの存在を感じている。それだけでいいのではないだろうか。などと、一般的な社会の社交辞令として使われる会話や言葉に頼ることをやめようかと考えていると、しばらくして平野くんが言葉を発した。

 

平野くん「きゅうじょのときはつりあげる。いとのときはまつりあげる。」

やすあきさん「ん?」

平野くん「…………」

やすあきさん「もう一回いい?」

平野くん「だからさ、きゅうじょのときはつりあげる。いとのときはまつりあげるんだよ」

やすあきさん「きゅうじょって人を助ける時の?」

平野くん「そう」

やすあきさん「救助のときは吊りあげる。糸のときは纏り(まつり)あげる。か、、、。いいね。その言葉」

 

この後、染めながらふとした拍子に2人で何度もこの言葉をおまじないのように言葉にした。

 

平野くんが、はじめての2人きりで困っている やすあきさんにくれた、2人をつなぐ魔法の言葉だった。

 

むしろ気を使ってくれていたのは平野くんだったのかもしれない。いずれにせよ彼の言葉に救われた自分がいた。

 

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染める前に一度水を吸わせます。

 

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均一に染まるように糸を藍甕の中で循環させます。

 

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染め終わったら絞って、干して、空気に触れさせ色を発色良くします。

 

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昼休み。縁側でくつろいでいたら、朋之さんが木目を数えて首を傾げて悩んでいた。

 

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「きゅうじょのときはつりあげる。いとのときはまつりあげる。」

 

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ガラスの向こうは織り工房「セグンダ」。

 

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セグンダのすぐ向かいに糸染め小屋はあります。

 

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今日、染めた糸。水洗いにかけるとこうして、いっきに藍の色になります。


染め小屋をつくり、糸を精練する

La Mano 5日目。朝9時La Mano到着。2ヶ月ぶりのLa Mano。前回は4日間の交流。みんなは自分のことを覚えているだろうか?少しドキドキしながら、藍染めにLa Manoと白抜きされた暖簾(のれん)のかかった玄関を通った。心の中では「ただいま」だったが、「おはようございます。今日からまたよろしくお願いします」と、スタッフの皆さんと挨拶。彼らは覚えてくれていた。やはり気になるのはメンバーさんたちである。

 

入口近くにメンバーさん一人一人の今年の目標を誓った書き初めが展示されていた。ひとつずつ眺めながら、その個性的な筆跡とユニークな内容から一人一人を思い出していると、次々にメンバーさんがやってきた。「おはようございます!」の自分の挨拶に対して、「おはようございます」と返してくれるメンバーさんもいたし、無言で見つめる人もいたし、「あ!新しい人が来た〜!」という人もいた。それぞれに症状や特徴があるので、覚えている人も忘れている人もいるというのが現実だった。

 

前回一緒に染めた研登(けんと)くんがやってきた。

施設長の高野さん「研登くん。覚えてる?」

研登くん「…やすあきさん」。

そう言って、目を合わさずにどこかへ行ってしまった。

 

素直に嬉しかった。自分はまた「やすあきさん」と呼ばれる世界で一つだけの場所に帰ってきた。

 

着替えをして掃除の時間が自然とはじまる。自分は箒(ほうき)を持って外で落ち葉掃き。日陰に残雪が残り、その上に乗った真っ黄色のイチョウの落葉とのコントラストが美しい。9:40くらいになるとラジオ体操の曲がかかり、これもまた掃除を終えた一人一人が自然に集い相変わらず、体操する人、動かない人、歩く人と個性的なラジオ体操が行われ、終了後そのまま全員が集い、朝の会がはじまる。朝の会では、染め、織り、絞り、アトリエなど今日のメンバーさんスタッフ全員のそれぞれの持ち場が伝えられる。

 

この時、名前を呼ばれたら「はい」と答え手を上げるのだが、もちろんこれもいろんな反応がある。大きな声、小さな声、とても高い声、とても低い声、優しい声、元気な声、無言。ずっと体を揺らしている人もいるし、ずっと小さな声で話をしている人もいるし、小さな唸り声も聞こえるし、遠くの空を眺めながらニコニコしている人もいる。この場所にいて、心に、じわーっとあたたかいものが広がった気がした。そうそう、この感じがLa Manoだ。それぞれがそれぞれに、凸は凸のまま、凹は凹のままでで個性的に存在しながらも、どこか緩やかなまとまりがある。あの自分の好きな人たちのいる場所だ。2ヶ月ぶりに帰ってきて、ここは深く息が吸える場所だと気付いた。自分にとってこの場所は不思議な安心感があるのだ。

 

今回La Mano入りは、1月25日〜29日まで5日間の交流と制作が目的。制作の内容としては3月4・5・6日に東京都美術館で開催されるTURNフェスに出品するための糸をメンバーさんと一緒に藍染めする。

 

そこで今日は、糸を藍染めするにあたって、専用の小屋づくりと、糸を染めやすくするための下準備である精練を行った。精練とは苛性ソーダを溶かしたアルカリ性の水溶液の中で糸を熱して、糸に付着した樹脂を浮かせ、一緒に溶かしこんであるマルセル石鹸という石鹸成分で樹脂を固めて取り除く作業をいう。

 

糸染め小屋は、織り作業所「セグンダ」の目の前に建たった。糸染め小屋から織り作業をしているみんなが見える。いい場所だ。精練もでき、準備万端。いよいよ明日からメンバーさんとの糸の藍染めがはじまります。

 

 

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書き初め⑴

 

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書き初め⑵

 

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書き初め⑶

 

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書き初め⑷

 

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残雪とLa Mano

 

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雪の白とイチョウの黄色のコントラスト

 

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ラジオ体操。やる人、やらない人、いろいろ。

 

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お弁当に「やすあきさん」の文字が!感動!

 

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糸を奥の鍋を使って精練します。

 

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浮いてきた樹脂を石鹸で固めます。透明だったお湯が白濁します。

 

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樹脂が抜けたら、洗いにかけて、干します。

 

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糸染め小屋完成!

 

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最後は明日染める色調整のため藍甕のPHを計測中。


〈そらあみ-氷見-〉アートプロジェクトの成長

魚々座(ととざ)9日目。今日は〈そらあみ-氷見-〉のお披露目の日。昨日から続いた吹雪が止み、奇跡的な天候に恵まれ、富山湾に面した比美乃江公園に設置された〈そらあみ-氷見-〉は、白銀の世界の中、氷見漁港、唐島、遠く水平線のむこうに立山連峰という、まさに氷見らしい風景を捉えた。

 

〈そらあみ〉は、漁師や一般の参加者と共に、空に向かって漁網を編むことで、人をつなぎ、記憶をつなぎ、完成した網の目をとおして、土地の風景を捉え直すプロジェクト。これまで、全国16箇所。2014年6月には遠くブラジルでも行ってきた。手仕事としての漁網編みは、時代とともに失われつつある技術。しかし大勢の人と協働し、教えあいながらひとつのものを手仕事でつくる、というコミュニティをつなぐ大切な文化的行為でもある。〈そらあみ〉はそのことを教えてくれる。

 

氷見での〈そらあみ〉は、今からちょうど1年前「ひみ漁業交流館 魚々座(2015年4月オープン)」の開館記念に合わせて、開館2ヶ月前の2015年2月からスタートした。その時完成した作品は、巨大な定置網をメインに展示空間を演出する魚々座の垣網(魚を誘導する網)として施設入り口に常設展示され、氷見の方々の手によって編まれたカラフルな網はアイキャッチとなり、人を誘導する役割を果たしてきた。

 

また、魚々座館内では体験型ワークショップとして、この1年間通して〈そらあみ〉は開催され、地元漁師やボランティアスタッフ指導の元、観光客や地元の方々など、延べ人数にして1000人以上の人が編んでいった。ここで生まれた場は、氷見の人が自分たちの言葉で自分たちの土地や漁業文化について、第三者に伝える機会としての役割を果たした。

 

こうして編み広げられていった〈そらあみ〉は人と人をつなぎ、そして400年以上の歴史がある氷見発祥の越中式定置網に代表される、編むことで命をつないできた氷見のかつての暮らしを、未来に向けて編みつないでいったのだ。氷見弁が飛び交う中、カラフルな網が編まれていく様子は、言葉にすると「なつかしい未来」といった、現代社会に対して新しいイメージを思わせるものであった。

 

1年前30mだった網は、多くの参加者の手跡を残し、1年かけて60mに成長。今日はそんな1年間の成果をお披露目したのだ。

 

雪の降る中での展示設営は、手足の感覚がなくなるほど寒く、たいへん厳しいものだったが、早朝にも関わらず積極的に、むしろ前のめりで設営に向かう姿は、すでにこの〈そらあみ〉というプロジェクトが地元の方々にとって自分事となっている証明とも思えた。

 

アートプロジェクト〈そらあみ-氷見-〉は、確実に成長していっている。

 

設置終了後、魚々座にもどり、みんなで鍋を囲んで、1年間撮りためた記録写真をスライドショーで見ながら、〈そらあみ-氷見-〉と魚々座の歩みを振り返り、一人一人から感想を聞いた。自分自身が育った氷見という土地を愛する皆さんの言葉には、それぞれしっかりと魚々座と氷見での〈そらあみ〉がどうなっていくと良いかの意見や想いやアイデアがあり、氷見の未来に向けての貴重な意見を交換する機会となった。

 

さまざまな意見が出た中、具体的なものをまとめると、もっと氷見の地元の人が多く来られるようにするために、、、

⑴囲炉裏をみんなで囲う番屋(漁師さんの作業小屋)や、炬燵(こたつ)にミカンとお茶があるような昔ながらの氷見の家のような居心地の良い空間づくりをすること。

⑵氷見の四季を感じるような一年の過ごし方を、お月見団子を作ったり干物をつくったりして行い、年間通して何か“コト”が行われている場にしていこうということ。

⑶広報活動として、魚々座に面白みを見出している自分たちが、友人を連れてくるようなイメージで、一人が一人を誘って声がけしてみよう。

といったものだった。

 

より詳細な意見はもっとたくさん出て、一つ一つの意見に対して、笑いあり、真剣な意見交換あり、といった感じで盛り上がった。

 

これはとても素晴らしいことだし、どれもたいへん貴重な意見だと思う。魚々座という、氷見の漁業文化を、氷見人とのコミュニケーションを介して伝えていく場作りをどうしたらいいのか、、、。開館からちょうど1年経った今だから出てくる現場の声に他ならない。これらが、どのように魚々座運営に反映されていくのか、運営形態など様々な難しい課題もあるのだろうが、まずは楽しみである。

 

〈そらあみ〉が捉えた氷見の風景はもちろん美しかったが、それ以上に感動したことは、アートプロジェクト〈そらあみ-氷見-〉が、「ひみ漁業交流館 魚々座」に拠点を構え、観光客や第三者に自分の言葉で伝える期会が、より多く生まれたことで、1年前は参加者だった皆さんが、伝える側の当事者であり、氷見文化について考え行動する発信者となっていたことだ。ここで起きた一人一人の視点の変化と、関係性の広がりと深まり、これは地域と協働する特徴を持つアートプロジェクトの成長と捉えられる。

 

〈そらあみ〉は今年も魚々座で編まれていくこととなる。かつて定置網漁網を村人総出で編み、命をつなぎ、漁業文化を育んできた氷見は、〈そらあみ〉というアートプロジェクトをきっかけに、なつかしくも新しい氷見の未来を編みはじめている。

 

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昨夜まで続いた吹雪が止んだ朝9時。

 

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奇跡的な青空に恵まれました!氷見漁港の灯台に唐島、遠くにはうっすらと立山連峰の姿。

 

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別の角度から見るとこんな感じ。

 

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実はこのあと、昼過ぎからは再び暴風雪警報が発令されました!数時間だけ、まるで〈そらあみ〉のためにこの瞬間が訪れたかのようでした。

 

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魚々座から見ると、こんな風に見えます。

 

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鍋を囲み1年間を振り返る。この雰囲気こそ魚々座に必要な要素。この感じがジワジワと広がっていくと良い。

 

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この写真。実は翌日24日の朝です。一夜にしてこの姿に!

 

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懸命な地元の方々の判断と協力を得て、吹雪になる前に事故なく撤去することができました。感謝!

 

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〈そらあみ〉を掲げた柱も一晩でまるで樹氷のようになっていました。横向きに雪が積もっている、、、恐るべし氷見の冬。


雪中柱立て

魚々座(ととざ)8日目。 雪が降ったり止んだりを繰り返した1日だった。

 

明日は、いよいよ〈そらあみ〉のお披露目。今日は朝9時に魚々座に集合し、〈そらあみ〉を掲げる6メートルの柱を11本、展示場所となる魚々座からほど近い比美乃江公園の海沿いに立てた。

 

雪が降り、毛嵐(けあらし:海面から立ち上がる水蒸気が冷たい空気に触れて発生する霧)の起こる冬の氷見らしい風景の中での作業となった。

 

ご想像の通り、雪で毛嵐となると、幻想的で風景としては美しいのだが、作業するにはかなり寒く、正直辛いものがあった。11本の柱を立てるには7人で約2時間かかり、全ての柱が立った時には、内数名は手足の指の感覚がなくなっていた。

 

でも、一本、また一本と、一面に広がる白銀の世界に柱が立っていくと、祭りか何かがはじまるような感じがして、気分が高揚する。柱を立てるという行為は、どうやら人を、なんとも言えない興奮状態にするようだ。

 

しかしながら、この極寒の中、7人もの人が朝から作業をしに来てくれたのがすごいと思う。7人中ヒミングスタッフは2名だが、みんな〈そらあみ〉が“自分にとっての〈そらあみ〉”になっているから、こうして、集まってくれたのだと思う。そういった意味でも、掲げる機運は十分に高まってきているように感じた。

 

昼食もみんなで食べたのだが、そこには本当に昔からの祭りの仲間が集ったような雰囲気が流れていた。

 

午後は、全ての網を一枚につなげた。なかなか目数が合わず、最後までみんなで修正を重ねた。何度確認しても、どうしても合わないのは、きっといろんな人が編んでいるから、それぞれ少しずつ指の力の差があったり、気がつかないほどの小さな間違いがあったり、それぞれ人は違うということの現れだということで、最後は納得し、最終的にちゃんと全長60メートルの一枚の〈そらあみ〉となった。

 

午後に駆けつけてくれた女性陣は、どんと焼きという美味しいおやつをその場で焼いて食べさせてくれ、本当にお祭り感が出てきたように思えた。

 

最高の雰囲気の中、明日、雪の〈そらあみ〉お披露目です!

 

 

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橋のそば。左端遠くに見える黒い建物が魚々座。右が氷見漁港。

 

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遠くに見えるのが唐島。この後、雪が降り、毛嵐が発生。

 

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柱建てを終え、魚々座へ。足の指の感覚がありません。みんなで暖をとる。

 

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全部で5枚の網を一枚につなぎ合わせます。

 

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去年から、魚々座入り口を彩り展示されてきた歴代のそらあみ5枚です。4ヶ月に一度新調してきました。古いものは色が褪せていい風合いが出ています。

 

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女性陣が手作りしてくれた。カワハギの味噌汁と、どんと焼き!イカ入りとナガラモ(海藻)入りとどちらも美味!

 

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全長60メートル×高さ3メートルの〈そらあみ〉はが大ザル3つに収まりました。2年間で氷見で編まれた分です。


ガラス玉で物語る

魚々座(ととざ)7日目。一昨日積もった雪がまだ残っているが、道の真ん中から噴水のように吹き出す融雪水のおかげで道路は通ることができる。時折、雪がぱらつく1日だった。

 

今週末1月23日(土)に〈そらあみ〉をお披露目するので、制作時間は残すところ今日を含めて、あと2日。今日は12日から7日間かけて編んできた、高さ3m×幅13mの網が一枚仕上がった。これに、同じサイズの午前中に差し替えた魚々座入り口に設置してあった〈そらあみ〉一枚と、これまで同じ入り口で、それぞれ4ヶ月展示した少し色の抜けた二枚と、魚々座奥の食事スペース近くに設置してあった少し小さめの一枚の合計五枚を明日つなぎ合わせて、高さ3m×幅60mの〈そらあみ〉にする。氷見で編まれた歴代全ての〈そらあみ〉が一枚になる。去年は全長30mだった。1年経って今年はその2倍の全長60m。魚々座という場を拠点に一年かけてプロジェクトが成長してきた証となる。

 

「ひみ漁業交流館 魚々座」には、氷見の番屋や納屋から集めた古い漁具や漁師が実際に暮らしの中で使っていた道具が、たくさん展示されている。そんな無数にある展示物の中に「ガラス玉」がある。昔、定置網の浮きに使われていたそうだ。

 

実は、〈そらあみ-氷見-〉の中心メンバーである荒川さんは、このガラス玉のコレクターで、なんと!7000個ものガラス玉をコレクションしている。7000個のガラス玉って、とんでもない数である。一度見せてもらいたい。7000個も持っているわけだから、もちろんガラス玉に詳しく、面白い話を聞かせてもらった。

 

なんと、このガラス玉コレクター、アメリカにもけっこういるそうで、日本で3000円で取引されるガラス玉がアメリカでは30000円と0ひとつ違う値段がついたりするそうだ。

 

なぜアメリカでコレクターがいるかというと、なんとこのガラス玉。浮きとして網に結んであったものが外れて、海流に流され太平洋を渡ってアメリカに流れ着く、それを拾ってコレクションしたというのがはじまりということだった。ちなみにアメリカではガラス玉を「Dragon Eye〈ドラゴンアイ〉」と呼ぶそうだ。“竜の目”とは、またなんともロマンがあり、カッコ良いネーミングだ。でもアメリカではガラス玉を浮きにする文化がないので、海の向こうから透明な玉が流れて来たら、それがいったいなんなのか分からないし、竜の目だと思ってしまう想像性はなんとなく理解できる。

 

また、こんなにも美しいガラスの球体を吹きガラスで作り出す技術は日本独特のものだったらしく、特に青森県の「北洋ガラス」というところが当時、たくさんガラス玉をつくっており、アメリカのコレクターのあいだでは、北洋ガラスのガラス玉は「Double F〈ダブルエフ〉」と呼ばれ、とっても人気があるそうだ。なぜダブルエフかというと、北洋ガラスのガラス玉には社名にちなんで「北」の一文字が刻印されている。だが漢字が読めないアメリカ人は「北」を逆さにして読んで「ᖷFでダブルエフということだ。このダブルエフの刻印がひとつ増える度に、値段が0ひとつずつ増えていくというのだから驚きである。ちなみに刻印の数が多いのは当時のガラス玉職人さんが、「えーい、気分も良いし今日はもういっちょ刻印押しちゃえ!」といったノリで増えたらしい(笑)。それが、現在価値を定める重要な役割を果たしているというのだからなんとも愉快である。

 

価値という意味では、このガラス玉、ビンや割れたガラスのリサイクルで作られていたそうだ。ガラス玉の色に何種類かあるのは、そのせいなのだそうだ。ちなみに一番多い青っぽいのは、もともと一升瓶とのこと。ゴミとなった一升瓶や割れガラスを、技術によって竜の目にしてしまうのだから、すごい価値の変化である。

 

といった面白い話が、氷見の人から聞けるのが、ここ「ひみ漁業交流館 魚々座」の一番の魅力なのである。氷見中から集めた漁具や道具は、他の土地から来た人には読み解くことができない。しかし、氷見の人がいれば、その道具の向こう側にある世界が物語として読めるようになる。

 

「物語」の文字通り、氷見の人が「物」を「語る」場所である。

 

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たくさんの漁具や民具が展示されている。多くのものは触ることができる。

 

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たくさんのガラス玉がある。

 

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これがダブルエフ。

 

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千鳥(ちどり)というつなぎ方で隣同士の網をつないでいきます。

 

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1月23日の土曜日、お披露目します。

 

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細かい部分も丁寧な仕事。「空へ上げたら、どうせ見えないんだけどな」と笑いながらハサミを入れる中田さん。

 

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完成間近!