Centro Cultural de Bellas Artes展示設営1日目。今日は、展示設営に向けて関係者が集まり、設置方法の確認、細かな素材選び、スケジュール調整等々の打合せを行った。集ったのは以下のメンバーに自分を含めた計7名。
プロデューサーのロサーナ。
美術館担当者のサンドラ。
美術館展示設営担当のセサル。
設営業者のルーベンとホルヘ。
通訳の有紀さん。
Centro Cultural de Bellas Artes内、この空間に展示します。
Cerrito Azul交流18日目。Cerrito Azulで「小さい糸巻き」を行った。
今日は不思議な光景を目にした。いつも通りに糸巻きをしに、みんなで広場へ移動していたら、ホルヘの靴紐をレナトが結んだのだ。
自閉症の人どうしのこういった関係を今まで見たことがなかった。
これまで、手をつないで歩いたり、相手にもたれかかったりというのは見たことがあった。他にはスタッフや自分のようなアクテビィティを仕掛ける側が、ある程度関係性が生まれることを期待した共同作業の結果として、関係性があるように見えている状況はあった。
実際に、これまで靴紐が解けた時も、クラス担当スタッフのジャンピエールが結んであげているのは、何度も目にしてきた。
しかし今日のこの目の前で起きたことは、あくまでホルヘとレナトの2人の関係性だったことに驚いた。誰かに指示されたわけでもなかった。
ホルヘが、靴紐が解けた方の靴を前に出すと、レナトが近づいて結んであげたのだ。
結び終わると、特にお礼や何か合図があるわけでもなく、レナトはそそくさとその場を去っていった。
ホルヘは靴紐を結べない。レナトは靴紐を結ぶことができる。ただそれだけの関係。感謝の言葉も、なんの見返りも求めない。できない人がいるから、できる人ができることをする。それだけのこと。なんと美しい関係性だろうか。
いつか自分の靴紐もレナトは結んでくれるだろうか?できれば結んでもらいたいな、、、。なんてことを自分は考えてしまうのだが、靴紐が結べる自分では、この関係性はつくれないということか、、、。
2人の純粋な関係性が美しかった。
ホルヘの靴紐をレナトが結ぶ。
何事もなかったかのように、糸巻きをする広場へ向かう。
Cerrito Azul交流17日目。Cerrito Azulで「小さい糸巻き」を行い、その後、アンデス染織専門家の有紀さんのアトリエに移動し、コチニールで糸を赤く染色した。
1519年、新大陸の地に降り立ったスペインの征服者たちは、市場を埋め尽くす鮮やかな赤に目を奪われた。光り輝く色彩はまさに生命の炎であり、魂を揺さぶる情熱の色。これこそヨーロッパの人々が、そして彼らの王が権威の象徴として求めた完璧な赤だった。
この色をヨーロッパに持ち込めば巨額の利益を生む—–スペイン人たちは製法から原料・産地にいたるまでを国家機密とし、完全なる秘密主義を貫いた。そのため18世紀まで原料の正体すら明らかにならず、イギリス、オランダ、フランスなど各国は躍起になってスペインの輸送船団を襲撃させ、新大陸にスパイを放った。市民のなかには正体をめぐって全財産を賭けた大博打に出る者まで現れた。
はたしてその正体は、植物の根? 種? 花? それとも動物の糞か、虫か? 国家も民衆も翻弄し、ヨーロッパ全土を競争へと駆り立てたその染料の名はグラナ。現在ではコチニールとして知られ、身近な食品や自然派化粧品などに使われている。
<完璧な赤(エイミー・B・グリーンフィールド、佐藤桂[訳])>という本には、コチニールはこのように紹介されている。
結論から言うと、サボテンにつく虫で赤く染めるのだ。緑のサボテンにつく虫が赤い染料になるのが不思議で、染めの先生のオスカルに聞いたが、自然のものだからね、、、、と言っていた。
今日は狙っていた色よりも赤味が弱かったが、これはこれで非常に美しい色。赤味の違いが何故出るのかをオスカルに聞くと、コチニールの産地によって赤味が違うのだそうだ。天然染料ならではの理由である。
ちなみにペルーでは、今もコチニールは宝石と同じように扱われていて、原石屋と呼ばれる宝石の原石を扱うお店が「金・銀・コチニール」という看板を掲げているのだそうだ。
コチニールの赤という色はスペイン人に発見されるずっと前から変わっていないが、その価値観やモノの見方は変わっていく。いつの時代も価値に翻弄されるのは常に人。赤は赤のまま。虫は虫のまま。
今の時代の価値あるものも、過去や未来からしたら理解しがたいものばかりだろう。身の回りにある、自分の中で疑う余地のない、あたり前に価値化された存在こそ、最も疑うべき価値である。
今の時代、何も持たずに生きるということが最も自由になれる方法なのだが、それが怖くてできないという不自由さの中にいる。
コチニールの赤い色を染めながらそんなことを考えていた。
アトリエにあったコチニール染めのレシピ本。イラストのような形をした5mmくらいの虫です。
同じレシピ本にあったサボテンからコチニールを収穫するイラスト。
染めの先生オスカル。
レモンを入れたり、煮込んだりして、なんだか料理をしているみたいです。
3つのトーンに染めました。美しい色です。
Cerrito Azul交流16日目。「小さい糸巻き」を行った。
今日はどこかの大学の学生たちが実習に訪れた。人数も10名以上おり、せっかくの機会なので、Cerrito Azulの人と2人1組のペアになってもらい、サポートする形で糸巻きのアクティビティに参加してもらった。
興味深かったのは、気がつくとサポートで入った学生が夢中になって糸巻きをしていたことである。
まぁ、これは仕方のないことなのだが、Cerrito Azulのみんながみんな糸巻きできるわけではなく、まったくできない、もしくは無関心な人も当然おり、そういった人とペアを組んだ人は自ずと自分で巻かざるを得ない。
だが、そうでなく、糸巻きができる人とペアになった場合にも、中には自分が夢中になって巻いているという人がいる。実はそれはCerrito Azulのスタッフにも同じ現象がある。
これは、みんなで輪になって1つの糸巻きをしていた時にはなかったことである。
1人で糸巻きすると、自分と向き合う時間になる。そういった時間が好き、もしくは必要な人が、糸巻きに夢中になるようである。
そして糸を巻いている姿に差はなく、みんな同じである。むしろ、自分からすると、みんな巻き方にこだわりがあるようで、みんな自閉症に見えてくる。
しかも、誰かの横に座って、その存在を感じながらも、自分の世界で糸を巻いている時間は、部屋で1人きりで糸巻きしているのとは違って、自己の世界にいながらも、ほどよく他者とつながっているような、なんとも心地よい感覚がある。
やはり糸巻きは、他者や自己との距離といった、心のバランスをとるのに向いている所作のように感じた。
アレッサンドロに糸巻きを伝えているが、ちょっと難しい。
自分が夢中で巻いている人もいる。そして糸巻き姿に差はない。
レナト、糸玉いいのできたね!写真撮ろう!で、この表情です(笑)
エルネストの手元。動きはゆっくりだけど、繊細で美しい。
マルセロは本当に糸巻きが好きみたいです。
Cerrito Azul交流15日目。今日は「小さい糸巻き」を行った。
今日は、レナトのお父さんがアクティビティに参加しにきてくれた。施設利用者の親が参加してくれたのは初めてだった。親にも参加してほしいという声がけに反応してくれたのだろう。忙しい中、時間を作ってくれたのだと思うと非常に有り難かった。
少し遅れて登場したお父さんにレナトはすぐに気がついて、嬉しそうに指をさしている。レナトの横にお父さんが座って一緒に糸巻きをする。糸巻き経験としてはレナトの方が上である。お父さんはレナトの糸巻きする様子を見ながら、自分もやってみる。
レナトが感情を表す表情はほとんどないが、嬉しそうな感じがレナトの様子から伝わってきて、こっちも嬉しくなる。
しばらく二人並んで巻いていた。
座り方、背中の角度、膝の開き具合、糸の持ち方、目線、丁寧な仕事の仕方、、、そっくりである。
レナトとお父さん。
一番右端がレナトとお父さん。そっくりである。その様子を不思議そうに横で見ているエドゥアルドがおもしろい(笑)
レアンドロはこのサイズの糸巻きがお気に入りのようです。
同じようで違ういろんな糸玉。
Cerrito Azul交流14日目。今日は「小さい糸巻き」を行った。これまでは全員が輪になって、1つの綛糸を大きな糸玉(約直径15㎝)にするというアクティビティだったが、今日からは1人が1つずつ小さな糸玉(約直径4㎝)をつくるというものに新たに挑戦した。
これまで糸玉を巻いてきた経験があるため、細かい指先の糸仕事にも慣れ、みんな自然と糸玉づくりがスタートした。
面白いのは、できあがる糸玉の形が一人一人違うということ。
強く巻く人、優しく巻く人、手の動かし方、筋力、器用さ、集中力、慣れ、などなど、個人差がそのまま巻かれた糸玉の形となって表れる。
もちろん一見しただけではただの糸玉ではある。しかし、よく見ると、形も硬さも巻き方も違う。
糸巻きは、紙に線を描くのと似ている。白い紙に筆跡という手跡が残るように、糸玉という形になって巻かれた糸に手跡が残る。糸とは、さわることができる線である。
描かれる絵が一人一人違うように、巻かれる糸玉も一人一人違う。
絵の描き方が違うように、糸玉の巻き方も違う。
それぞれに自分の糸玉を巻いてみる。
みんなで巻いた大きな糸玉。自分で巻いた小さな糸玉。
集中しています。
出来上がった糸玉を手渡してくれたホルヘ。それぞれの達成感と、できあがる回数が増えるという楽しさもある。
糸紡ぎリサーチツアー3日目。今日はアルパカの毛の糸紡ぎを行った。
朝起きると、やはり頭が痛い。昨日より多少は治まったが、まだ頭の中に心臓があるかのように脈を打っている。これ以上に高山病を悪化させないために病院へ。酸素吸入と酸素を取り込みやすくするための注射を打って行動開始。
糸紡ぎをするために、ホアン カルロスの奥さんのエルビーラの実家へ向かう。やはり気になるのは標高である。ホアン カルロスに尋ねると、標高4200mだという。ちなみに宿は標高3850mだったので、朝一で病院に行っておいて正解である。
数時間の移動だったが、注射の影響でほとんど寝ていた。気がつくと到着しており、そこはやはりというべきか、空が近すぎるせいなのか、間違いなく地球上にあるエルビーラの実家なのだが、どこか別の星にいるような、宇宙を感じる場所だった。
薄い空気に慣れてきたのか、注射の力なのか、はたまた大地の神への供物の効果か、到着後はすこぶる体調が良かった。
さっそく糸紡ぎか?と思ったら、まずはイモを焼くためのかまどを、石を積んで作って、かまどを焼く。かまどが焼けたら、そこにイモを入れて、こんどはかまどを潰して焼けた石でイモを焼く。30分ほどでイモが焼けたら、焼けた石の中からイモを掘り出す。そしてみんなで食べるのだという。
イモが焼けるのを待っていると、エルビーラの知り合いの紡ぎ手の女性2人がやってきた。我々が町の市場で買ってきたお土産のフルーツや、パンやチーズなんかも出てきて、ちょうどイモも焼けて、みんなで食べはじめた。聞くと、こっちの風習として、こうやって皆で集まって何かをする時は、最初にみんなで同じものを食べるのだという。お土産も当然の礼儀として必要になる。人との距離を縮めるには自然だし、よくできた風習である。
食べながら女性2人に話を聞く。どうやってここまで来たのか聞くと、乗り合いバスだという。どれくらいかかりますかと聞くと、40分くらいで、歩いたら4時間とのこと。次にどうやって今日集まるということを連絡しているのか、携帯はつながるのかと聞くと、電波がつながる場所があるから、そこまで歩いていくのだそうだ。だけれども相手も、同じ時に電波がつながるところにいるとは限らない。ではその時はどうするのかと聞くと、ひと言。「会いに行く」とのこと。なんだかひどく納得がいった。どうしても伝えたいことがあったら、バスで40分か歩いて4時間かけて会いに行くのだ。今の自分の日本の暮らしからしたら衝撃ではあったが、それは逆に正しいことだとも思った。
一緒に食事をして距離を縮めたところで、昨日毛刈りしたアルパカの毛の選別レクチャーがエルビーラによってスタートした。そう、ひと言でアルパカの毛と言っても、様々なランク分けがされているのだ。簡単に言うと7段階に分かれる。最高級は背骨に沿った背中の一部分のみ、そこから同心円状に徐々にランクが下がり、足回りなんかが最も品質が低いものとされており、それらはヒモなどに加工される。基本的に良い部分は海外に輸出されて、ほとんどペルーには残らないのだそうだ。
両手で触って徐々に変化していく品質を確認した。最高級部分と最低部分を比べればすぐに触って分かるが、徐々に変化していくのを識別するのはなかなか難しいものだった。
そしていよいよ糸紡ぎスタート。まずはエルビーラの糸紡ぎデモンストレーション。これが、とんでもなく美しい。プシュカがコマのように地面を回り、アルパカの毛の塊が彼女の両手で引っ張られる度に、餠のように伸び、いつの間にかプシュカの回転が伝わり、自然に撚りが加わり、限りなく細い均一の糸として生まれ、巻き取られていく。この一連のことが同時に起きている様子は、まるで魔法を見ているかのような不思議な光景だった。大げさかもしれないが糸が光って見えるのだ。とにかく彼女に触れられている毛が気持ちよさそうで、見ているこっちも気持ちが良くなっていく。時を忘れていつまでも見ていられる。
シンプルだから理屈は分かるが、とてもじゃないがそうはならない。自分もやってはみたが同じことをしているとは思えないのだ。
会話を交え、時折笑いながら糸を紡ぐエルビーラはまるで、そこに流れる時間や空間や雰囲気までも一緒に紡いでいるかのようだった。そこには調和があった。
紡ぎながら彼女は言った。
「新月の時に糸を紡ぎはじめるの。月が満ちるのにあわせると仕事がはかどるのよ。その逆はダメ。どんなにやっても仕事にならないの。」
糸を紡ぐということはきっとこういうことなのだろう。
この星の生き物は、潮の満ち引き、要するに月の満ち欠けにあわせて産卵し命をつなぐ。
糸を紡ぐということは、この星に流れる命のリズムを紡いでいるのだ。
高山病のため、2日連続で朝一病院での酸素吸入中。注射は苦手なのでイヤだ!と言ったら。看護士のおばちゃんに子供じゃないんだから!と、プスリとやられました(涙)
エルビーラのおばあちゃん。86歳です。かまどをつくってくれています。
乾燥した牛の糞を燃料にかまどを焼きながら、おばあちゃんと記念写真。雲が近すぎる。
標高4200m。空と大地とかまどが焼けるのを待つおばあちゃん。
アルパカの毛や糸を触る前にも、コカの葉を大地と山の神に捧げます。
アルパカ獣毛選別レクチャー中のエルビーラ。手前が頭。奥がおしり。品質が7段階に分かれます。
レクチャー終了後、上手に丸めて、最後は首の部分を撚って紐状にして縛りまとめます。
焼けたイモをみんなで食べます。見た目は一緒なのですが、中身が白や黄色など、いろいろ種類があり味が違って飽きずに食べられます。シンプルだけど石焼き芋の美味しさは間違いありません。
女性の髪型はこのスタイルが人気。御下げにボンボン。ちなみにボンボンはアルパカの毛を使って自分でつくっているそうです。色も天然のグレーアルパカ色。
紡ぐ所作も、その姿も美しい。
太いのが自分が紡いだ糸。細いのがエルビーラが紡いだ糸。別の次元にあります。
糸を紡ぐということは、きっとこういうことなのだろう。
エルビーラ友人。有紀さん。エルビーラ友人。エルビーラ。私。
エルビーラの友人2人は、バスの時間だからと言って帰っていった。バス、いったいどこに来るのだろうか?
草を食むアルパカ。どれくらい前の人がこの風景を見て、どれくらい先の人までこの風景を見るのだろう。
アルパカを自由自在に移動させる おばあちゃん。
牛の餌を運ぶ ホアン カルロス。働き者だと褒められていた。やはり働き者が良い男なのだ。でも最近の日本の働き者から感じるイメージとは何か違う。
牛に餌を食べさせるホアン カルロス。笑顔でこの暮らしが好きだと言っていた。彼が刻む命が輝いているのを感じる。
東の空に月が昇り、、、
西の空に日が沈んでいく、、、
ホアン カルロスが振り返り、東の空と西の空をアゴで指す。「見ろ!ここには月と太陽がある」そう言っているようだった。
エルビーラの実家に戻ると、羊たちも帰宅していた。
ホアン カルロスとエルビーラ夫妻。アルパカに関わる仕事をしていた2人を、その糸がつないだ縁なのだそうだ。馴れ初めを聞くと、エルビーラが「アルパカを追い込むように追い込んだのよ(笑)」と、はにかみながら話す姿に一同大爆笑。
糸紡ぎリサーチツアー2日目。今日はアルパカの毛刈りを行った。
昨夜からずっと頭が痛い、、、。まるで心臓が後頭部にあるようだ。そう、高山病である。昨夜はほとんど眠れず、朝起きても動けず地元の診療所へ。恐るべし、標高3850mの世界。
酸素吸入をして動けるようになったので、アルパカを育てているホアン カルロスの運転で、毛刈りをするため移動。この移動が長かった。酸欠で意識が朦朧とする中、いったい何時間くらい移動したのだろう?意識が飛んで寝てしまい、何度目覚めても同じ風景がひたすら続いていた。
果てなき風景に飲み込まれ、だんだん地球じゃないどこか別の星にいるような気すらしてくる。
突然、車が止まった。降りても音はない。少し風を感じるだけ。
ここどこ? ホアン カルロスに聞くと、プーノ県コヤオ郡コンドリリ村カラサヤ地区だという。住所があることにも驚いたが、これまでに日本人は来たことがないそうだ。
標高は? さらに聞くと、標高4800mだという。4800m!!?さらに1000mも上がったのか、、、。もちろん息が苦しい。いったいどこまで来てしまったのか、、、これ以上高山病が酷くなったら、、、少し不安になる。
、、、遠くに目をやると、、、空と丘の間にアルパカがいた。
ここはホアン カルロスの友人のウバデロ アセロの土地だという。アセロはこっちの言葉で鋼(はがね)を意味する。挨拶をして握手した手はまさに鋼のように、分厚く、硬く、厳しい自然と向き合って生きてきたのが伝わってきた。三宅島の網漁師や、ブラジルで会った素潜り漁師や、中央シベリアであった遊牧民と同じ手をしていた。
白、茶色、薄茶、黒、グレーなどいろんな色のアルパカがいる。交配して色幅を増やすのだそうだ。この広大な大地を放牧しアルパカを育てる。ここには100頭ほどアルパカがいて、他にもラマや羊もいるそうだ。毛刈りは11月〜1月の約3ヶ月間に行う。交配と出産も同時期のため、その頃が一番忙しい。4才くらいまで育てて、その間毛刈りをし、毛を売り、最終的には食肉として売る。
お父さんも、おじいさんも、そのずっと前からここでアルパカを育てているという。アルパカを育てるにあたって、先祖代々大切にしていることを聞くと、大地の神と山の神への感謝と供物だという。供物はコカの葉・ワイン・お香・アルパカ油(ラードみたいなもの)を捧げる。昔は、油の代わりにアルパカの心臓を一緒に捧げていたという。心臓は上の世代くらいまでで、今は簡略化したそうだ。
供物の1つのコカの葉は、こっちに来てから何かと登場する。高山病だというと、コカ茶を飲みなさい。コカの葉を口に含んでなさい。などなど、とにかくコカの葉なのだ。神様への供物としても基本がコカの葉で神聖な葉っぱとして扱われている。
「一頭選べ」ウバデロ アセロが言う。
選んだアルパカの毛を刈ることを意味するのだと、すぐにわかった。「ブランコ(白)」と言うと、短い距離をダッシュしたかと思うと、一瞬で白いアルパカを捕まえていた。ちなみにアルパカは耳をつかんで捉える。今の自分は、しゃがむ動作だけで頭がクラクラするほどで、とても走るなんてことは想像できない。子供達もお父さんのお手伝いで普通にダッシュしている。この時、自分の人間としての弱さだけが際立っていた。言葉も通じず、歩くこともままならず、息も絶え絶え、何の役にも立たない。今、この土地で最も弱い存在が自分なのだろう。
背中を大地につけて、逆さまにされた白いアルパカに、ウバデロ アセロがハサミを入れる。間髪入れず、お腹の方からザクザクと毛刈りしていった。吹き抜ける風の音と、アルパカの唸り声と、迷いないハサミの音だけが辺りに響いていた。果てのない金色の大地と青い空の間で行われる毛刈りは、美しく神聖な儀式のような風景だった。本来は風と強い日差しのない、早朝の光の中で毛刈りをするのだそうだ。「空がもっと青くてきれいよ」とアルパカの耳を抑えながら奥さんが笑顔で言う。その状況はさぞ美しいのだろう。
お前もやるか?といった具合にハサミを手渡される。これまで持った中で最も大きくて重たいハサミだった。大地に両膝をつき、横たわるアルパカと対峙した。目の前の出来事にしっかりと向き合い、心を強くもたなければいけないと思った。覚悟を決めてハサミを入れる。アルパカの呼吸と共にお腹が動いている。毛刈りなのだが、まるで肉を切り、体を剥いでいるかのような感覚だった。その毛は柔らかく、あたたかい。まるで、血が通い、脈を打ち、生きているかのように感じた。
ホアン カルロスが高山病に良いと言われている薬草をお腹に擦り付けてくれている。不思議な匂いがしている。
地元の診療所で酸素吸入中。先生が天使に見えました。
どこまでも運転するホアン カルロス。
時々、家がいくつかあったり、放牧している人に出会う。
遺跡ではなく、廃屋。
寝ても覚めても、延々とこの風景が続く。
大地と空の間にアルパカがいた。
コカの葉。
供物の捧げ方をホアン カルロスから教えてもらう。
アルパカを捕獲するには、このように耳を捕まえます。
アルパカの糞。不思議なものでこの環境ではまったく汚く感じません。むしろ美しい。何の躊躇もなく手にしていました。とにかく人と大地の距離が近く感じるのです。
「うちの土地はあそこの境までだよ」と言うのだが、お隣さんが遠すぎる。
なぜかアルパカはカメラ目線が多い。
ウバデロ アセロ。私。イヴァン。ホアン カルロス夫妻。ウバデロ アセロの妻。
ラマ、アルパカ、羊がいるよ。と言われるが見分けがつかない。
アルパカの干し肉を焼いている。糞は燃料になる。
ウバデロ アセロの家。時々、郵便屋さんとか来るのかな?と聞くと、ここには誰も来ないと言う。外界と離れた世界。
キッチンからこちらを覗くウバデロ アセロの息子。彼もいずれ父のようにアルパカと共に生きるのか?と聞くと。父としては3人の子供の内、1人くらいは継いでほしいと言っていた。
アルパカの干し肉。まったく食欲がなかったから、ひとかじりしかできなかったが、これが絶品。
ウバデロ アセロの毛刈り。
人生初のアルパカの毛刈り。
思わず頰をあてた。
脈打つ獣毛。
糸紡ぎリサーチツアー1日目。どんな土地でアルパカと人は暮らし、糸が紡がれているのか。糸が生まれる、そのはじまりの瞬間に出会いに行くのが目的である。
アンデスでアルパカを育て、糸を紡いでいる人とネットワークを持つパターンナーのイヴァンの友人のところでアルパカの毛刈りと選別と糸紡ぎをさせてもらう。通訳及び解説としてペルー在住15年アンデス染織専門家の有紀さんにも同行してもらった。
目的地はプーノ。チチカカ湖畔の標高4000〜4800mの世界である。
Lima(リマ)→Juliaca(フリアカ)約2時間飛行機移動。Juliaca(フリアカ)→Puno(プーノ)約1時間バス移動。昼食をとり、Puno(プーノ)→Chucuito(チュクイート)約1時間車移動。
そこには都市のリマとは全くの別世界があった。リマが季節柄ずっと曇りだったせいか、久々の晴れと太陽の光が美しい。とても静かでノイズがない。空が近く感じ、標高が高いせいで、少し歩いただけで息が苦しく、階段を上ると頭がズキズキする。
プーノにあるチュクイートという町の宿に着いたのは夕方だった。
宿の窓から、深く濃い青のチチカカ湖と、金色に輝く大地、突き抜けるほど透明な青空が広がっている。湖岸の焼畑の煙がゆっくりと風に流れていく。聞こえるのは風の音と、遠くに聞こえる鳥の声、穏やかな時が流れている。ゆっくりと深呼吸してみる。自分の心も穏やかになっているのを感じる。
道中、イヴァンが教えてくれたインカ時代の挨拶を思い出していた。
《インカの挨拶》
・盗まない
・ウソつかない
・なまけない
インカの時代、挨拶をする時、人は必ずこの言葉を交わしたそうだ。現代の世界共通の挨拶にしても良いと思う。
クスコを都とし繁栄したインカ帝国の国づくり神話は、目の前にあるチチカカ湖からはじまる。ある時、チチカカ湖から男女2人が現れた。男の名はマンコカパック(教育・哲学・戦い方を伝えた)。女の名はママオクヤ(子供の育て方・家事を伝えた)。2人は国をつくる場所を探していた。その方法は金の杖を持って地面を叩きながら、金の杖が地面に入った土地から国づくりをはじめるというもの。そうして選ばれた場所がクスコである。
糸のはじまりに出会いにきた土地は、インカ帝国のはじまりの土地でもあった。
プーノの町の広場のカテドラル。
宿から望むチチカカ湖。
宿の前の道。
チチカカ湖に夕日が沈む。
インカの時代からある水路。