瞬く間に白銀の世界

魚々座(ととざ)6日目。昨夜はレジデンスの屋根が飛んでいったのではないかと思うくらいの強風で、一晩中何かが風に煽られぶつかる音と、時折、雷の音までゴロゴロと鳴る、落ち着きのない夜だった。今朝、魚々座に向かった9時すぎは一度、風も雨も止んだが、お昼前に突風が吹き、狂ったように雪が降ってきて、30分ほどで辺りは白銀の世界へと変貌した。

 

それでも、〈そらあみ〉を編みに、ある人は長靴をひざ下まで履き、ある人はマフラーを鼻まで巻き、ある人はポッケに両手を入れて肩をすぼめ、ひとり、またひとりと吹雪の中、魚々座へとやってくる姿はなんだか映画のワンシーンのようであった。

 

誰かが言う。「しっかし、この雪んなか、よう来たねー。だぁれもおらんやと思っとったけど、みんなおるやん(笑)」

 

なぜかこういう時はテンションが上がるものだ。夏休みの秘密基地みたいなものだ。約束もしてないし、天気も悪いし、誰もいないかと思って行ったらみんながいた、あの感じだ。誰も来なくても行くと決めてこの吹雪を越えてきた自分がいて、他のみんなも同じだと思うと嬉しくなるのだ。〈そらあみ〉は決して仕事でもないし、義務でもない。〈そらあみ〉したいから来るのだ。平日の日中、吹雪の中にもかかわらず、途中おばちゃんたちも来てくれて最大10人で編んだ。すごいことだと思う。

 

五十嵐「こんな吹雪いた日は氷見の人って何してるんですかね?」

端さん「五十嵐さん。うちらの小さいころはね。こんな雪の日は、子供は藁(わら)を縒って(よって)縄をつくって、お母さんは筵(むしろ)を、こうやってこうやって編んでな。そんでお父さんは藁の使える部分以外を刈り落としとったわ。それで1日家族で働いて200円稼げるかどうかくらいやったなぁ」

 

中田さん「今は、ほれ、みんなカンドラやろ」

五十嵐「カンドラ?中田さんカンドラってなんですか?」

中田さん「ほれ、あれや。韓国ドラマのことや(笑)」

五十嵐「………韓ドラですね(笑)」

 

家族でものづくりするのか、テレビモニターを見るのか、稼げるお金も生活も時代と共に変わって、もちろん暮らしは豊かになったが、どちらの時間が場としてクリエイティブで、身体感覚を持って豊かなコミュニケーションをしていたかはいうまでもなさそうだ。

 

ここに集っている方々は年配者の方が多い。仕事などの都合上、平日は自ずとそうなる。とはいえ、この場が面白いと思って、わざわざ吹雪の中、足を運んでくれるということは、心の奥底のどこかで必要としている、もしくはこっちの感じの方がテレビモニターを見ているのより楽しいと幼少期の記憶の中にある感性の欲求に対して素直な人たちが集まっているのかもしれない。

 

あの頃、雪の日は家の中で、家族みんなで藁仕事をしていた。

今日は、雪の中の魚々座で、そらあみのみんなで網仕事をしていた。

 

お金になろうがなるまいが大切なものがそこにはある。

 

しかし、雪が降ると格段に冷え込みが違う、、、これがいつもの冬の氷見だそうです。

 

北陸の冬はやっぱり、、、さ、寒いです、、、。

 

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そらあみと雪。初の組み合わせ。

 

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辺りは真っ白。奥の方に黒く見えるのは海。

 

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吹雪をつかまえる。

 

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30分後には晴れ間が、しかし、この後再び吹雪になりました。

 

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寒くて温度が低いので乾燥したパウダースノーです。

 

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桟橋も雪。船も雪。灯台も雪。

 

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港のカモメたちも寒そうです。

 

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ほぼほぼ編みあがりました。

 

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隣同士をつないで、一枚の網に仕上げていきます。


クレオソートをひたすら拭く

魚々座(ととざ)5日目。今日は1日雨。夕方からは天気が急変し、強風注意報が発令されるほど大荒れとなった。

 

ここ魚々座でのそらあみワークショップは通常13時〜16時ということになっているのだが、9時の開館から少しすると、もう編みに来ているではないか!10時前には、なんと3人が編んでいる。

 

五十嵐「おはようございます!早いですねー!」

中田さん「家ですることもないし、ここは温いしなぁ。」

五十嵐「おはようございます!昼からですよ(笑)」

地家さん「知っとるよ。でも今日は雨で天気も悪いし、畑仕事もできんやろ。だからみんなに、はよ行こて、電話してな(笑)」

 

やることがあるから、来ることができる。そこに居場所ができる。そこに行けば誰かが編んでいる。だから編みに行く。我々のようなタイプの現代美術家の仕事はある意味「場づくり」とも言えるのだが、ここの場は良い意味で勝手に展開していっている。すると、この場がどうやって、さらに次のステージにいくと良いのか、自ずとイメージが膨らむ。

 

編むことの先にあることについて考える。ここ魚々座が氷見でもっと機能する魅力的な場所にしていくにはどうすると良いか?〈そらあみ〉の人のつながりはそこでどんな役割を担っていけるのか、、、。じわじわと、この人の輪に新たな風を入れながら広げていきたい。

 

こうして、網は今日も順調に編み進められていった。

 

午後、〈そらあみ〉を空に掲げるための11本の棒が届いた。長さ6メートルの丸太だ。〈そらあみ〉で使用する棒は、いろいろある。竹、鉄筋、植木などなど、基本は状況に合わせてだが、その環境ならではの棒を使うことが多い。ここ氷見では北陸地方の冬の風物詩である「雪吊り」で使用する木製の棒を使う。

 

しかし、届いた棒がなんだか黒くてヌルヌルしている。あれ?なんか去年と違うな、、、。持って来てくださった野寺さんに事情を聞くと、このヌルヌルは「クレオソート」という防腐剤だという。新しい雪吊りの棒は長持ちするようにみんなクレオソートに漬け込んであるのだそうだ。

 

、、、しかしこれは困った。網が黒く汚れてしまう。去年も使ったがこんなにヌルヌルしてなかった理由は単純に古い雪吊り棒だったということらしい。、、、いろいろ話し合って考えたが、拭いたほうが早いということになり、皆さんには引き続き編んでもらい、野寺さんとヒミングスタッフの上地さんと自分と3人で、ひたすら拭いた。午後はほとんどの時間拭いていた。これがけっこうな重労働。雪吊りにとっては防腐剤だが〈そらあみ〉にとっては油汚れ。あきらめるわけにはいかない。

 

途中、心が折れそうになりながらも、ひたすら雪吊り棒を雨の降る寒い屋外で拭き続けていると、なんだか北陸の冬と間接的に戦っているような気分になってしまった(笑)

 

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朝10時には自然とはじまります。

 

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雪吊りの棒が届きました!

 

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ひたすらクレオソート(防腐剤の油)を拭いて落としました〜。ほんとお疲れ様でしたー!


63年前の轆轤(ろくろ)

魚々座(ととざ)4日目。今日は“あいの風”の強い1日だった。あいの風は、日本海沿岸部で沖から吹く風の総称で、氷見では北東方向から吹く風をこう呼ぶ。岸から北東方向に富山湾が広がる氷見では、あいの風が吹くと海は荒れることになる。氷見漁港の敷地内に立つ魚々座からも波立つ海が見て取れた。

 

厳しい天候ではあったが、日曜日ということもあり、昨日に引き続き今日も来場者が多かった。そらあみも順調に進んでおり、編み進むにつれて、制作場所の見え方が変わっていくと共に、関わる人の関係性もまた円滑になっていくのが面白い。団体競技や祭りでいう呼吸が合っていくような感覚である。

 

昨年の「そらあみ-氷見-」からはじまり、1年間通して魚々座の〈そらあみ〉も編み続け、今回ももちろん毎日参加してくださっている氷見での〈そらあみ〉の中心人物の一人である中田さんと並んで編んでいて、ふとした拍子に昔話が盛り上がった。

 

五十嵐「そういえば中田さんって、漁師をしていた時期ってあるんですか?」

中田さん「いや、ないよ」

五十嵐「でも、網も編めるし、海や漁や魚のことも詳しいですよね」

中田さん「おいらは海辺で育ったからな。物心ついた時には浜で仕事の手伝いしとったわ。まぁ、あの頃は遊ぶもんもなかったしな。浜での手伝いが遊びみたいなもんやったよ」

五十嵐「そこで網の編み方とか魚の獲り方とか勝手に見て覚えたってことですか?」

中田さん「まぁ、そうゆうこっちゃね」

五十嵐「その頃はどうやって魚獲ってたんですか?」

中田さん「そりゃ、おおかた地引網やったね。ほら、すぐ後ろ、あっこに大きな轆轤(ろくろ)があるやろ。あれにロープを巻き取って浜に網を引き寄せるわけや」

五十嵐「え?!でも広げた網の両端から引っ張らないといけないですよね」

中田さん「そりゃそうや。だから轆轤は浜に2つあるわけや。それでロープの同じ長さの位置に浮きが取り付けてあってな、それを目印に見ながら左右が均等になるように巻き上げていくんよ」

五十嵐「網はどうやって海に入れていたんですか?」

中田さん「ほら、そこに、櫓(ろ)の乗っかった伝馬舟があるやろ。あれより少し大きな二挺櫓(にちょうろ)か三挺櫓(さんちょうろ)の舟に網を積んで浜を漕いで出る。その時に片方のロープを、こっちの轆轤につないでおく。沖に出たら舟から網を落とす。そんでもって網の反対から出とるロープを持って、舟は浜へと向かっていき、むこうの轆轤へと、そのロープをつないで左右同時に巻き取っていくわけや。沖で網に何か引っかかるとロープが足りなくなるから、そしたら大事やで、舟には多くロープを積んでいたもんや。」

五十嵐「けっこう魚は獲れたんですか?」

中田さん「いや、そうでもない。海藻やゴミも多かったしな。それも選り分けんといかんやった」

五十嵐「その頃は一年中、地引網をやってたんですか」

中田さん「それでも、あったかい時期やったな。4月から10月くらいまでやったかな。でも、子供ながらに一生懸命に浜で轆轤の棒を押したりして、大人の仕事の手伝いするんが楽しかったけどな。まぁ、それが遊びやった。それやし手伝うたらカブス汁なんかもご馳走になれたしな。それが旨くてなぁ。そっちが目的でもあったわな(笑)」

五十嵐「それっていつ頃だっんですか?」

中田さん「子供の時分や」

五十嵐「中田さんって今おいくつでしたっけ?」

中田さん「73歳や。その頃は10歳くらいやったから、63年前になるな(笑)」

五十嵐「63年前思い出して、ちょっと轆轤回してみます?」

中田さん「ほれ。こんな感じや」

 

魚々座には、氷見各所の蔵や納屋や番屋から集めた漁具がたくさん展示してある。ここにあるものを使えば、63年前と同じ地引網漁ができる。中田さんのように、展示してある道具を自分の記憶で読み解ける人がいるうちに、ただ展示物として眺めて見ているだけでなく、実際に使ってみると良いように思う。

 

それらの道具には、ただ単に、例えば魚を獲るといった目的だけを果たすこと以外にも、コミュニティや土地の文化をつなぐ所作としての機能が隠されているように思うのだ。機能してこそ道具の真価は発揮される。

機械編みでなく、手で編んだことで〈そらあみ〉がはじまったように、、、。

 

これらの道具は所作を伴うことで、身体を介して、懐かしくも新しい世界への入り口となる。

 

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あいの風で、魚々座入り口に設置されている〈そらあみ〉がかなり吹上げられている。

 

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時間が止まったままの轆轤(ろくろ)

 

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63年前を思い出しながら、中田さんが使うと轆轤は機能しはじめた気がした。

 

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〈そらあみ〉は順調に伸びて、風景も集う人の関係も、ゆるやかに変化していっています。


魚々座に復活!カブスと村張り。

魚々座(ととざ)3日目。今日も天気は雨が降ったり止んだりの繰り返し。これがある意味いつもの氷見らしい冬の天気ということ。でもまあ今年は雪が少ないそうだ。

 

土曜日ということもあり、魚々座は人が多く賑わいのある1日だった。人を集めた一番の理由は「カブス –氷見の海からはじまるWebマガジン-」(HP→http://kabusu.net/) の発刊記念トークイベントが開催されたからである。

 

以下、Webマガジン「カブス」のフェイスブックページより

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Webマガジン「カブス」は、自然豊かな富山県氷見市にくらし、食、漁業、アート、コミュニティ活動など様々なアクションに関わる人々が、それぞれの想いや活動レポートを記事として届けます。1月16日(土)は、ひみ漁業交流館 魚々座にて、発刊記念トークイベント「ごちそうカブス」を開催。トークイベントに参加される方にカブス汁をふるまいます。

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タイトルにもなっている「カブス」という言葉は、氷見の漁師が、その日の漁獲れた魚のうち、分け前としてもらう魚のことを意味する。トークイベントに加えて、本場の漁師仕込みのカブス汁までふるまわれるとなると、やはり人は集まる。そらあみのワークショップを行っているすぐ横でトークイベントイベントが行われたので、トーク内容を聞きながらのワークショップとなった。

 

話に耳を傾けながら、去年リサーチの際、氷見の漁師さんから聞いた「村張り」の話を思い出した。漁師さんの話はこうだ。

 

「氷見は山と海に囲まれた豊かな土地。しかし平地が少なく、米はたくさんとれない。だから農業だけではやっていけない。定置網漁は港から近くに仕掛けた網に魚を獲りにいくから、他の漁に比べて時間の目処が立つ。定置網漁は海の畑に収穫にいくようなもの。こうして氷見では半農半漁の暮らしが出来上がっていった。でも巨大な定置網を個人で運営するのは多額のお金がかかるから無理。そこで、村人が出資金を出し合い、1つの定置網を張った。だから《村張り》という。当然、獲れた魚も村人みんなで平等に分けた。今でいう株式会社の出資と配当の関係と同じ仕組み。その網株を平等に分けて、配当として株数の魚をもらう。その株数(かぶすう)が、なまって《かぶす》になった。だから《かぶす》=《その日に獲れた魚の分け前》。」というのだ。そしてもちろん、村人たちは破けた網を村人総出で編んで修復したり、網のつながりによって支えあって、氷見という土地で命をつないできた。

 

しかし、今は、定置網も機械編みとなり、定置網漁は漁業という仕事として特化し、村で定置網を張る文化はほとんど残っていない。

 

この話を聞いて、氷見での《そらあみ》は、網を編むことでコミュニティをもう一度つなぎなおし、「村張り」のような存在になることを目指すという指針を立てたのが1年前。

 

今日、魚々座では、漁師、市民、子供達、といった老若男女が集い。網を編む人がいて、カブスを食べる姿があった。時代と共にばらばらになった定置網漁がもらたす、地域コミュニティをつなぐ文化的側面が、再構成された瞬間を見たようだった。

 

今日の魚々座は氷見という土地の本来の美しい文化が、再び芽吹いた記念すべき瞬間だったのかもしれない。

 

最近、自分の活動のテーマとなっている「なつかしい未来」を今日、氷見で感じた。

 

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氷見は、若者が地元の暮らしに興味を持って動き出し、先輩たちが面白がって昔話を聞かせ技を見せ、漁業文化を中心に盛り上がってきています!Webマガジン「カブス」注目です!そらあみのコラムも掲載されています!

 

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去年、定置網漁に富山湾へと連れて行ってくれた大先輩漁師さんたちがカブスを作ってくれました。久々の再会!そこには自然と酒もある(笑)

 

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これが今日のカブス汁。具材はカワハギ、サバ、イカ。出汁は魚から出たものだけ。あとは味噌しか入ってない。しかし、旨味がとんでもなく濃く甘い。漁師のカブス汁には必ずイカが入っているとのこと。

 

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造船された木造和船があり、網を編む人がいて、カブス汁を食べる人がいる。

 

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さらにそこには、子供と母親の姿もある、、、これが現代の氷見に瞬間的に復活した平成28年の村張りの姿。


氷見の寒ブリ不漁

魚々座(ととざ)2日目。みぞれ混じりの雪が降る1日だった。氷見でのそらあみワークショップは、平日も休日も午後13時〜16時で行っている。今日は平日だったので施設への一般来場者も少ない。しかし、そんな中、今日は地元氷見の方々6人で3時間も編むことができた。この6人は去年から継続して参加してくれており、この〈そらあみ〉の時間を楽しみにしてくれていた方々だ。女性の方は「この時間が楽しみでねぇ〜」と言いながら、嬉しそうに編んでいる。そう言ってもらえると、素直に嬉しい。一緒に編む時間が多い方々なので、自然と話も盛り上がる。

 

ここ数日、もっぱらの話題は、寒ブリの不漁のことだ。

 

氷見人A「今日は一本しか揚がらなかったってよ、、、。」

氷見人B「一本って、、、そんなこともあるんやな。多い年は一日に何万本ってブリが揚がるんに」

氷見人C「30年ぶりくらいの不漁らしい」

氷見人A「漁師さん、今年はボーナスなしやね」

氷見人B「今年の嫁入りは大変やね」

五十嵐「なんでですか?」

氷見人B「ほれ。氷見では結婚する時、嫁の家が旦那の出世を願って、旦那の家に出世魚のブリを一本持っていくやろ」

氷見人A「今年は全然獲れんから、キロ2〜3万円するってよ。普通はキロ5000円くらいやから、その4倍やよ」

氷見人C「ブリはだいたい6〜7Kg以上やもんで、一本20万円くらいになるっちゅうことや」

五十嵐「じゃあ今年結婚する氷見の嫁の家は挨拶だけで20万円も必要になるってことですか(笑)」

氷見人C「そういうこっちゃ(笑)」

氷見人B「それやし、長男が生まれたら、鯉のぼり揚げるやろ。あれも氷見では嫁の家から金を出すんや」

五十嵐「鯉のぼりも?」

氷見人B「そうや。みんな嫁の家からや。氷見の嫁の家は大変なんよ」

五十嵐「ほんとですね」「旦那の家は何も出さないんですか?」

氷見人C「出すのは下くらいや。がっはっはっ(笑)」←ちなみにこれは下ネタである(笑)。

 

少し話はずれたが、とにかく今年は氷見の寒ブリが大不漁となっている。今年は全国的に気温が高く、富山湾の海水温が高いとか、ブリが小さい時に獲りすぎたとか、いろいろ原因についての話は出るが、結局、自然相手であるが故に、本当の本当の原因は誰も分からない。いくつもの現象が重なり合って起きているのだろう。

 

ブリや不漁だが、〈そらあみ〉では会話も弾み、順調に編み広がっていっている。

 

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お手製の糸巻き器。一年の間に便利アイテムが増えている。「ないものは作る」これが基本なのだそうだ。

 

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番屋(漁師の作業小屋)に見える。


「そらあみ-氷見-」今年も編みます!

魚々座(ととざ)1日目。外は雪がぱらついている。しかし去年の2月に比べたら、今年の氷見はそれほど寒くないようだ。今からちょうど1年ほど前、オープンする「ひみ漁業交流館“魚々座”」に設置するための〈そらあみ〉を編みに氷見へ来ていた。

 

無事に完成した〈そらあみ〉は定置網をモチーフとした会場空間となる魚々座の入口に、垣網部分(魚の誘導網)として設置された。

 

あれからほぼ1年間、ここ氷見の魚々座では、なんと、ずっと継続的に、地元の方々がボランティアスタッフとなり〈そらあみ〉が編み続けられてきた。そう、世界で唯一、〈そらあみ〉が常設され、且つ、現在進行形で編み続けられているという、特別な場所なのだ。

 

魚々座入り口の垣網として屋外に常設されている〈そらあみ〉は、紫外線などの影響で色が抜けるため、4ヶ月に一度(1年に3回)新調される。作業イメージでいうと、4ヶ月に1枚のペースで高さ3m×幅13mの垣網を編んで差し替える。

 

「ひみ漁業交流館“魚々座”」は、単なる観光施設ではなく、氷見人とそこに訪れた人が氷見の漁業文化を体験しつつ交流する場作りを目指している。氷見には定置網漁発祥の地として、400年の歴史があり、網と共に暮らし、編みながら命をつないできたと言っても過言ではない。また、網を編む行為は人を寄せ、コミュニケーションを誘発する。こういった文化的背景と場作りとしての効果を狙って〈そらあみ〉は常設されたのだ。

 

今回の滞在制作では、これまで氷見で編まれてきた〈そらあみ〉を全てつないで一枚の大きな〈そらあみ〉にして空にかかげ、魚々座がオープンしてから、これまでの1年の成果を振り返ろうというものである。

 

どんな1年だったのだろう?もちろん本当にいろんな人が編んだことは明確である。ボランティアスタッフの中心である荒川さんと新年の挨拶を交わすと共に再会を喜びつつ話を聞いた。

 

五十嵐「今年もよろしくお願いします。ところで、魚々座での1年、どんな1年でした?」

荒川さん「いやぁ。それがつい先日、面白いことがあってね。氷見出身で今は東京に住んでいるオバちゃんが、テレビを見て編みに来ましたって、わざわざ東京から氷見の魚々座へ来たわけ」

五十嵐「え?!東京でテレビ放送されたんですか?魚々座が?そらあみが?」

荒川さん「そう思うでしょ。それが違くて、年末のニュースかなんかの情報番組で、街頭インタビューで、この1年で一番印象に残ったことは何でしたか?といった内容のコーナーがあって、そこで、たまたまインタビューを受けた、JICAの関係で漁業を勉強に来ていたインドネシアの人が、氷見の魚々座で網を編んだのが今年で一番印象に残ったことでした!って話をしたみたいでね。それを見た氷見出身のオバちゃんが出身地だし、いてもたってもいられなくって編みに来たってことだったんだよね。おもしろい話でしょ?!」

五十嵐「へぇ〜、それはおもしろいですね。しかも、広がり方が〈そらあみ〉っぽいというか、、、。こう、体験した人が、その人の感覚で誰かに伝えて、一人連れてくる、あの、去年のアートセンターヒミングでやってた〈そらあみ〉の広がりかたと一緒ですね(笑)」

荒川さん「でしょ!(笑)」「あ!そろそろ12時だから、あのオジちゃんたち編みに来るよ」

五十嵐「あ!地家さん!中田さん!ご無沙汰してます。あけましておめでとうございます!今年もよろしくお願いします!」

中田さん「はい。おめでとさん。」

地家さん「おめでとさん。今日はどっから来た?」

五十嵐「太宰府からです」

地家さん「んなこた」

 

こうして、「そらあみ-氷見-」今年もスタートしました!

 

1月23日(土)に、全ての網をつないで約50mの〈そらあみ〉を、魚々座近くに展示予定です。

 

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ひみ漁業交流館 魚々座入り口に常設されている〈そらあみ〉。年末の12月26日に新調しました。

 

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いい意味で何の違和感もなく、ごく自然にはじまりました。

 

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和船の近くで編んでいます。和船と網。相性は抜群です。

 


New horizon ~なつかしい未来にダイブする~

La Mano 4日目。朝9時La Mano到着。2週間ぶりのLa Mano。少し間があいたが、みんな自分のことを覚えてくれていたようで、「あ!やすあきさん。おはよう」と声がけしてもらえたり、目を合わせて無言でお互いに頷いたり、朝の会の間、横に寄り添って手を握ってくれていたり、なんとなく自分の居場所がまだここに残っているように感じられた。

 

今日は、前回の三日間の滞在の“つづき”をしに来た。“つづき”というのは、藍染めの全行程を体験するつづきのこと。「染め」に関してはいちおう一通り体験したのだが、「染め液づくり」がまだ途中だった。前回の最後は「すくも練り」をした。これは、カチカチに乾燥した藍の葉の塊に、熱湯を注ぎ、和菓子の餡のように柔らかくなるまで練る作業。そして、今回はその練った“すくも”に灰汁(アルカリ性の水)を加え、薄めてのばして、かさ上げし、還元剤を入れて「藍建て(あいだて)」をする。

 

「藍建て」とは、水に溶けない藍の色素を、還元して水に溶かすことで、発酵によるものと、還元剤によるものがある。そもそも藍の染め液には酸素がない。つまり、無酸素状態をつくり出すことが大事なのである。古来の藍染めは、発酵という手段で酸素を取って染め液を作ってきたのだけれど、発酵をコントロールするのに熟練を要するため、現在は還元剤を入れて無酸素状態の溶液をつくる。ちなみに酸素を取ることを「還元作用」という。

 

簡単にまとめると、「染め液づくり」の後半戦をしたということ。

 

実作業としては、灰汁や還元剤の加える分量が分からない自分は、ひたすら攪拌(かくはん)、要は混ぜる担当。使い古した湯船の中に入った染め液をオールで漕ぎ続けた。湯船の中の藍は、攪拌を続けるうちに、徐々に茶色から濃い藍色へと変化していった。正確には空気に触れている染め液の表面のみが、濃い藍色になっていく。攪拌によって所々泡立っている、、、。その表面は藍色というよりも、漆黒に見える。漆黒の表面で泡が弾け、所々白い粒が点在する。それはまるで宇宙が生まれる瞬間のような風景であった。午前中はこうして、町田の森の中で、湯船にオールをさし、宇宙を漕ぎ続けた。

 

午後は、もう一つ興味があった作業の「糸巻き」をした。「糸巻き」は染めた糸の綛(かせ:一定の長さの糸をゆるく巻いた塊)を、玉巻器を使って毛糸玉にしていく作業。これは「織り」の棟(染めと織りは別棟)の入り口の机で、いつも宇佐美くんがする作業。La Manoでは、糸巻きは宇佐美くんの仕事ということで皆が認識している。体の大きな宇佐美くんが織り棟の入り口で糸を巻く姿は貫禄があり、すてきだ。できれば、すぐ横でやらせてもらえないか?と施設長の高野さんに相談してみたが、宇佐美くんは糸巻きにこだわりがあり、仕上がった糸玉の大きさはもちろん、硬さや、糸の締り具合まで細かく決め事があり、そんな宇佐美くんの横で、別の人が糸巻きをはじめたら、自分の仕事が良くなかったのではないか?と悩んでしまうタイプの人だから、宇佐美くんが別の仕事で糸巻きの持ち場を離れた時に入れ替わりで入るようにしましょう。とのことだった。このあたりの、一人一人の得意不得意や性格まで把握して仕事を割り振っているあたりは施設長の高野さんをはじめスタッフの方々の“丁寧にひとりの人間と向き合う姿勢”にあらためて、はっとさせられる。でも、本来、人は丁寧にひとりの人間と向き合うべきで、現代社会の荒んだ人間関係などを想像すると、こっちが本来のあるべき姿だよな。と思わせられる。

 

「糸巻き」という作業に興味があったのは、このLa Manoという工房で、それぞれの場所で行われている「染め」や「織り」といった仕事であり、一人一人の存在をつなぐ作業に思えたからだ。ここでは様々な性格や身体性といった特徴をもった人が作業をしているから、染めが得意な人は染め、織りが得意な人は織り、といった具合で得意なことをする分業体制が説妙なバランス感覚で成立している。それら一人一人の手元から手元へ、心から心へ、緩やかに一本の糸が繋がって、連動しているようなイメージがあった。この“緩やかなつながりの連動”が、この場を機能させ、クラフト工房La Manoを成立させている象徴のように思え、糸巻き作業の存在に興味があった。

 

「糸巻き」のやり方を教わり、巻いてみた。玉巻器の性能が良いので上手にできた。そう思って、宇佐美くんの巻いた糸玉を握ってみると、自分の糸玉はゆるくフワフワで、宇佐美くんの糸玉はしっかりと固まっていた。見た目は分からないが、触ればすぐに分かる。しっかりと巻かれた糸玉は、織り作業で最後まで使いやすいそうだ。フワフワの糸玉をもう一度全て巻き直すことにした。こういった部分のこだわりが良いものを作る工房において、とっても大切に思えたからだ。そう。ここLa Manoは、障害者施設ではなく、クラフト工房なのだ。その染織品のクオリティは非常に高い。それぞれがそれぞれにこだわりを持って、できることをして、品物として良いものをつくる。まさに工房である。

 

染織や陶芸といった手作業であり、伝統工芸といった世界の作業工程には、植物を育てたり、土を掘るところからはじまり、品物にして、売るところまで、深くて広い関わりしろがある。それは、藍染めのグラデーションのように自分なりの色が出せる、自分の居場所が見出せる場とも言える。社会にはいろんな人がいるからいいのだ。得意なこと、不得意なことがそれぞれにあるからいいのだ。だから関わって、それぞれの得意が活き、それぞれの不得意をフォローすることができる。それぞれが持って生まれた凸凹を、凸凹のままにお互いの存在があるから尊重しあえるのだ。

 

きちっとラジオ体操ができるような、五体満足で、且つ、まわりの空気がよめるような、社会に求められる規格内の人材ばかりが必要とされる現代社会。でも、そもそも人はそんなものではない。というか、生まれながらにそんな人は存在しない。皆、そもそも凸凹なのだ。我慢してその規格に収まっているかのような振る舞いができるだけなのだ。もしくはそのように教育という名の洗脳をされているかのようにも思える。

 

La Manoの朝は、掃除とラジオ体操からはじまる。みんなずいぶん凸凹で、不格好な動きをする。中には動きすらない人もいる。でも、これでいいのだ。自分はここがとっても安心できる。

森に囲まれ、植物を育て、手作業をして、美しい染織品が生まれる。凸は凸のまま、凹は凹のまま、そこにやるべきことがある。名前と役割が見出され居場所ができ、質を求められこだわりが生まれ、できあがった品物を大切にされ、やりがいができる。これは当たり前のことだ。

 

しかし、現代社会はどうだろうか?凸凹を無理して隠し、自分の人生の時間を売ってお金を稼ぐだけで、いいのだろうか?それは幸せというのだろうか?

 

人は必ず生まれて死ぬ。我々は社会を運営し発展するためだけに生きているのだろうか?

 

今の世界や価値観を捨て、新しい世界に飛び込むには勇気がいる。自分もLa Manoに来た初日は緊張したし、初めての現場は少し怖かった。だれだってなんだって最初は怖い。

 

でも勇気をもって飛び込むと、発見があり、自分の中にもともとあった見えていなかったものが見えてくる。

 

ここLa Manoには現代社会において、人が豊かに生きていく新たな場としての可能性があった。

 

帰り道。言葉が浮かんでいた。

 

「New horizon ~なつかしい未来にダイブする~」

 

この世界に、新たな地平(水平線)を織り成すのだ。

 

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竹林のむこうの建物がLa Mano。

 

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灰汁を足していきます。

 

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攪拌(かくはん)します。

 

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町田の森の中で、湯船にオールをさし、宇宙を漕ぎ続けた。

 

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だいぶ藍が建ってきました。

 

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干し柿の横に藍染めされた手ぬぐいが干されている。

 

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純白の糸。

 

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色のグラデーション。糸の種類。藍の糸だけでも様々なものがある。

 

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藍染めされた綿糸と同じ爪の色。

 

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織り機と糸。

 

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織り成された水平線。

 

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縦糸と横糸で面ができていく。

 

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糸を巻く宇佐美くん。

 

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La Manoをつないでいる象徴のように思えた。

 

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今日、藍建てした色を確認。良い藍が建ちました。


もうひとりの五十嵐さんと寄り添う

La Mano 3日目。朝9時La Mano到着。今日がいちおう、今回最初に設定した3日間の交流の最終日。両手の爪はすっかり藍色に染まって、まるでマニュキアをしているようだ。昨日、一昨日と同じように、着替えて、掃除をして、ラジオ体操をして、朝の会の出欠がはじまった。

 

今日の出欠確認の担当は、この2日間、一緒に藍染めしてきた井上さんだった。みんな、自分の名前が呼ばれると「はい」と返事をする。すると、最後の最後に「やすあきさん」と井上さん。驚いてとっさに「はい」と自分は答えた。井上さんとは近くで染め作業をしていたけれど、黙々と作業をする静かな人で、この2日間ほとんど言葉を交わすことはなかったので、まさか呼ばれると思っていなかった。なんだか、よく分からないのだが、熱いものがこみ上げてきて、目が潤んでしまった。

 

この3日間を通して振り返ると、「やすあきさん」と自分の名前を呼んでもらえた時が一番うれしい瞬間だったのかもしれない。

 

自分はLa Manoが、ここにいる人たちが、そしてここにいる自分が、すっかり好きになっていることに気がついた。

 

今日はLa Manoで2ヶ月に一度の恒例行事「封入」の日である。全国のLa Manoファンや関係者(その数6000だとか?)に向けて、「2015年冬の染織展DM」、「La Mano通信秋号」、「La Mano友の会事務局だより秋号」を、折って、重ねるように合体させコンパクトにし、封筒に入れる。数が半端でないので、メンバー、スタッフ、ボランティア全員総出で行う。展示販売会直前のクラフト工房ならではの一大イベントである。もちろん自分も一緒にやらせてもらった。

 

6つくらいのテーブルに、6人ずつくらいに分かれ、A4サイズの通信や友の会だよりを半分に折るチーム、半分に折られた2種類を1つに合体させるチーム、合体したものを更に半分に折るチーム、それとDMを合わせて封筒に入れるチーム、といった具合に臨機応変に流れ作業で、最後は封筒に糊を塗って封をするところまで行う。

 

どのテーブルにつくといいのか分からずウロウロしていると、ひとりのスタッフの方が「やすあきさんは、じゃあここで、合体させるのをやってください。これとこれを、こうして、重ねて、、、、」。座って作業をしていると、空いていた左隣の席に、もうひとりの五十嵐さんが座った。メンバーの方で、下の名前は朋之さん。普段はたいていアトリエで絵を描いたり刺繍をしたり主に個人作品の制作をしている。この3日の間に、お昼ご飯などでは一緒になっていたので、比較的、気持ちが不安定になりやすい印象を持っていた。折り込み作業をしていても「もう無理だょ」など、いくつか言葉を発し、下を向いて止まってしまう。

 

どうしていいものか分からず戸惑ったが、自分は手を止めず、しばらく待ってみると朋之さんが再び少しはじめたりする。小さな声で「いいね」「おっけー」と声をかけてみる。しばらくその掛け合いで続くが、再びモゴモゴして小さな声で「もうダメだ」。それに対して小さな声で「だいじょうぶ。だいじょうぶ」と声をかけてみる。こんなことを続けていたら、徐々にリズムが出てきて、折り込み出来たものをお互いに順番に重ねていくようになった。ふと気がつくと、朋之さんの右足が自分の左足に、そっと寄り添っていた。

 

後ろのテーブルのメンバーから「おー!あそこ、五十嵐が2人そろったー!」と声がかかる。笑いがおこり、全体的に盛り上がる。

 

途中、今後のことについて、施設長の高野さんとアトリエ担当の朝比奈さんと打ち合わせをすることになったので、一旦テーブルを離れた。1時間ほどしてもどると、作業内容が変わっており、そこには朋之さんの姿はなかった。どこに行ってしまったのかは分からないが、ひとまず同じ席に座って作業を続けていると、朋之さんがどこかからやってきて自分に寄り添うように、さっきと同じ左隣に座った。「やる?」と声をかけると、再びはじまった。それを見ていたスタッフの方が言う「朋之さん、やすあきさんに寄り添って、気持ちを落ち着かせてる。やっぱりアーティスト同士だから気が合うのかな(笑)」。

 

はじめての体験だった。言葉での対話とは違う方法で、“何かあたたかなもの”を交換した。一緒に作業をして過ごすあいだに交換していたのだ。

 

「封入」はここにいるほぼ全員でやる作業。それぞれに得意不得意はあるが、できることをする。それは、考えてみると、染め・織り・絞りなど、別の建物でそれぞれにできることをして、ひとつの染織品が出来上がる感じとよく似ている。作業場の距離と内容が変わっただけである。ということは、この3日間で自分は「染め」をしていたわけだが、「織り」や「絞り」の人たちとも、その“何かあたたかなもの”を共同の作業を通して交換していたのだろう。だから、対話がほとんどなくても、この3日の間にLa Manoが、好きになったのだろう。

 

このお互いができることを、その人らしく、それぞれにしながら、ゆるやかにそれらをつなぎ、何かあたたかなものを交換して、ひとつの作品が出来上がる感覚。La Manoの染織品には、それが織り込まれている。

 

その関係は、種類と、太さの違う、いろんな藍色のグラデーションに染められた個性的な糸が繋がって、織られていくイメージである。

 

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「織り」は「染め」で作られた糸で織られていく。

 

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なんだかあたたかい場所なのだ。

 

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藍染めされたグラデーションの糸が織られていく。

 

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糸巻き。

 

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ラジオ体操を終えて、朝の会。

 

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La Mano通信と友の会のお知らせを合体。冬の染織展のDMと一緒に郵送します。

 

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La Mano総出で恒例の封入作業。

 

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光が透けると更に発色が良い。

 

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なんだか、なつかしい玄関。

 

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染織させてもらった手ぬぐいが乾きできあがり。


“なつかしい未来”と出会う

La Mano 2日目。朝9時La Mano到着。ここに来るとみんながいる。それがうれしい。昨日より、みんなが自分のことを知ってくれている感じがする。誕生日を一度聞くと忘れずに、本当にたくさんの人の誕生日を覚えている由起子さん(自分の誕生日も昨日聞かれ、覚えてくれた)が、大きな声で、且つ、とっても早口で「やすあきさん、おはよう」と独特の早口で声をかけてくれた。名前を覚えてもらって呼んでもらえることって、こんなにうれしいことだったんだと、忘れていた感覚に気づいた。「ゆきこさん、おはよう」。

 

昨日と同様、着替えて、掃除をして、ラジオ体操をして、朝の会で出欠をとり、それぞれの持ち場へ。自分は、午前中は昨日に引き続き藍染めを行い、午後は藍甕(あいがめ)に入れる染料づくりを行った。

 

《藍染め》とは、ごく簡単に説明すると、藍の葉を発酵させた《すくも》というものと、アルカリ性の水を混ぜた液体に、糸や布を浸した後、空気にさらすと酸化して藍色になるというものである。

 

藍染めは染める時間と空気に触れさせて酸化させる時間と、その両方が同じくらい大事なのだそうだ。天候によって空気中の酸素量が違うので、微妙に藍の発色や色の定着が変わるとのことで、太陽に合わせて仕事をするのが良いそうだ。晴れた日の方が藍色の発色が良くなるとのこと。晴れた日は植物の光合成によって空気中の酸素量が増える影響だとか。

 

人が自然をコントロールして染めるのではなく、変化する自然に人が目を向けて観察し、それに合わせて、その力を借りて染める。まるでこの星と日々向き合っているような世界なのだと感じた。

 

実際に染料がたっぷりと入った藍甕をのぞくと、その表面はほとんど黒に近いほどの濃い藍色をしているが、実は空気に触れている部分だけ酸化するので、表面だけが青く見え、その中身は茶色の液体なのだ。これもなんとも不思議な感じがした。

 

なので、ムラなく染めるためには一度浸けた布は液体から出ないようにしながら生地に染料を染み込ませていかなければならない。染料の表面は宇宙のような青でその中身は茶色。例えるならば、「泥の宇宙」といった感じだろうか。ゆえに大げさに言うと生地が見えないのである。見えないものを指先の感覚で、液体内で手際よく動かす。それはまるで宇宙に手を入れているような気分だった。

 

そして、5分ほど藍甕の中で布を泳がせ、引き上げると、布の色は最初は茶色をしており、みるみるうちに、酸化し濃い藍色に変わっていく、それから水で洗って表面に付いた余分な成分を洗い流すと、真っ青な藍色に染まった布が姿を表す。この工程はまるで、布が空を吸って青くなるような不思議な感覚にさせられた。

 

緑に囲まれているLa Manoの染め場で、藍甕に手を入れ、布を泳がせたまま、ふと顔を上げると、正面には竹林が見え、時折、風が吹き抜けサラサラと揺れている。どこかから鳥のさえずりが聞こえ、白猫が首輪の鈴をチリンと鳴らしながら、ゆっくりと通り過ぎていく。他に聞こえてくる音は、それぞれのタイミングでセットした5分毎のストップウォッチの音、井上さんが藍甕の中に布を泳がせるヒタヒタとした音、研登くんの鼻歌や野球や銀行の話。なんとも言えない豊かな時間がそこには流れていた。人と人、人と自然が、それぞれができることをして、このように向き合い、素材や過程といったものを含め、本当の意味で質の良いものを生産し、生きるということ、自分はこのLa Manoという場所に、新しい社会の地平を見た。それは、言葉にするならば「なつかしい未来」である。

 

午後は「すくも練り」が得意な典雄くんがどこかからやってきて、2人で藍甕に入れる染料づくりをした。徳島から取り寄せた「すくも(藍の葉を発酵乾燥させたもの)」5㎏、大きなタライがいっぱいになるくらいのものに、灰(はい)を茶碗一杯ほど加え、熱湯を注ぎ込み、ひたすら練る。軍手をし、厚手のビニール手袋をした両手で、とにかくひたすら練る。これを繰り返していくと、カチカチに乾燥していた《すくも》は、和菓子のこしあんのように粘りが出てきて、徐々に藍の香りが立ってくる。いつもやっている典雄くんは慣れているので、真似をしながら、2人並んで肩がこすれるくらいの距離で、それぞれのタライに入った《すくも》を一緒に練った。

 

典雄くんは体の距離感が近くても大丈夫な人。メンバーのひとりの卓さんは人に触れられるのが苦手。距離感は人それぞれ、それは自分も一緒だし、だれもがそれぞれの得意不得意な距離感が、身体的にも精神的にもある。そもそも人と向き合うとはそういうことでもある。相手を、自分を、思いやるということでもある。組み合わせによって千差万別ある互いにとっての心地良い距離感を自分たちなりに見つけることこそ、人との関係性を築く基本である。ここLa Manoは、そんなことも気づかせてくれる。

 

《藍染め》では、必ず1日の最後の仕事として、藍甕の色調整をする。簡単に言うと、何度か染めた藍甕は染まる色が薄くなる。なので、それぞれの藍甕の色を小さな布に染め、色見本をつくり、その色を参考に、より藍の色を立たせるための還元剤を入れる。この仕事は難しいので高野さんがこれまでの経験を基に適度な分量を入れる。そして、井上さんと、研登くんと、自分の3人で藍甕を底から混ぜる。しかもなんと、オールで混ぜるのだ。あの舟を漕ぐオールである。

 

“森の中でオールを漕ぐ”という、これもなんとも不思議な時間だった。

 

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藍染めされた糸。

 

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藍甕に布が落ちないように、カゴに竹を通して工夫されています。

 

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一番左は、糊を落とすための蒸し器。右二つは染料を煮出したり、熱湯を作ったりします。

 

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「すくも」です。蓼藍(たであい)の葉を乾燥させたもの。

 

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徳島産のすくもです。専門農家も減ってきており貴重なものです。

 

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すくも練りが得意な典雄くんと2人で練りました。

 

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無事に染色終了。絞りの糸を外したら模様が出てきました。

 

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絞りを外す場所や染める回数で色の差を出します。

 

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研登くんや井上さんが染めた布。美しい。

 

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カーテンも藍染めのパッチワークでした。


“名前と仕事をもらう”すると居場所ができる

La Mano 1日目。朝9時La Mano到着。東京とは思えない深い緑に囲まれた小高い丘の上、古い木造日本家屋を改装し、どこか懐かしい雰囲気に包まれていた。玄関にかかった藍染めの暖簾(のれん)を恐る恐るくぐった。どこへ行っても土地(コミュニティ)に入る最初の瞬間は緊張する。しかも今回は、一般就労が難しい障害を持った人たちとの出会いとなる。La Manoには、そういった人たちが現在26人おり「メンバー」と呼ばれている。そしてスタッフが13人、それにボランティアの方も来ていたりするので、毎日だいたい30〜40人くらいの方がここに集う。

 

玄関で靴を脱ぎ、顔を上げると、ひとりの男の人がこっちを向いて、どーんと動かずに立っていた。「おはようございます」とっさに挨拶をしたが反応はない。まるで入り口で通せんぼ状態である。しばし見つめあったまま沈黙がつづいた後「名前は?」と聞かれ「おはようございます。五十嵐です」と答えた。男の人は軽くうなずいて、振り返って行ってしまった。そのやりとりに気づいたスタッフの方が、「あ、今日からの、アーツカウンシル東京の関係の方ですよね?はじめてだったから、たぶん名前が知りたかったんだと思います。」とのことだった。メンバーさんのひとりだった。初顔のよそ者に対して、あんた誰?というのは当然の反応だと思う。でもやはり独特。

 

施設長であり、自分にとっては染色の先生になる高野さんに案内してもらい、荷物を置いて、作業着に着替えをすませた。朝の時間は、みんな慌ただしく動いている。居場所のない自分はうろうろしながら、室内に干してある昨日染色したであろう、藍染めの手ぬぐいや染め型などを拝見しつつ、すれ違う人に挨拶をした。反応はあったり、なかったり様々。

 

荷物を置いて着替えたメンバーさんたちは、掃除をはじめた。高野さんに「自分も掃除します」と言うと、「ありがとうございます。でも、実はメンバーそれぞれの持ち場が決まっていて、そこに重なってしまったりすると、気持ちが不安定になってしまったりするんですよ。なので、もう少しいろいろ見てもらって9:40になったらラジオ体操するので、どうですか?」とのことだったので、そうさせてもらうことにした。

 

緑に囲まれた中で清々しい空気を吸いながらのラジオ体操が終わると、朝の会がはじまった。メンバーのひとりの方が、出席をとりながら、それぞれの持ち場を伝える。「◯◯さん、染め」「◯◯さん、絞り」「◯◯さん、織り」「◯◯さん、アトリエ」といった具合で、それぞれ「はい」と返事をする。そして最後に、自己紹介させてもらった。「五十嵐靖晃(いがらしやすあき)です。今日から3日間。よろしくお願いします」。スタッフのひとりが言う「あれ!また五十嵐さんだ(笑)。これで3人目の五十嵐さんだよ。じゃあ《やすあきさん》て呼ぼう。みんないい?《やすあきさん》ね!」。メンバーに1人、スタッフに1人、すでに五十嵐さんがいたので、自分は3人目の五十嵐ということだった。自分はこうしてLa Manoで《やすあきさん》という名前をもらった。

 

朝の会が終わると、皆それぞれの持ち場へ移動し、工房が本格的に動きだす。自分は「染め」へ移動し、《藍染め》をさせてもらった。施設長の高野さんには、他のメンバーと同じように仕事をしたり、昼食を食べたり、できる限り自分もみんなと同じように、過ごさせてくださいとお願いしていた。

 

染色のスペースには、11個の大きな藍甕(あいがめ)があり、井上さんと、研登くんの2人のメンバーが高野さんの指示のもと藍染めの作業をしている。実は10年以上染色している2人。大ベテランだ。2人は見事な手際の良さである。26人いるメンバーだが、この染色作業は難しく、できるのは4人。その内でも好んで且つ安定して染色作業ができるのがこの2人なのだそうだ。自分にとっては兄弟子ということになる。

 

メンバー1人1人に得意・不得意があり、その人に合った役割を、この人は染め、この人は織り、この人は糸巻き、この人は刺繍、この人は絵画といったふうに、担ってもらうという。このやり方もなるほどと感心させられた。高野さんをはじめスタッフの皆さんが、メンバーひとりひとりの才能であり、キャラクターと向き合っているからこそ成せる技だと感じた。しかも、《自分で出来ることは自分でやる》というのが基本のスタンスなので、さぼっていたり、手が止まっていたりすると、普通に「ほら、◯◯さん、手が止まっているよ」「さぼらなーい!」といった感じで注意される。ここは福祉施設ではなく、あくまでクラフト工房なのである。スタッフの多くは福祉の専門家ではなく、美大や専門学校で染色やグラフィックや油画を学んだ人たちで、できあがる製品のクオリティは非常に高く、故にちょっとした染めのミスなどにも厳しい。障害者だから仕方ない、とかではなく、それぞれができることをして、とにかく良い製品を作り上げるという工房なのだ。

 

高野さんから藍染めの方法を丁寧に教えてもらい、絞りの手ぬぐいを4枚藍染めするという役割をもらった。朝の会で名前(呼び名)をもらい、こうして仕事(役割)をもらうと、最初に比べてずいぶんと居心地がよくなった。《名前と仕事をもらうと居場所ができる》ということを強く再確認した。しかもその人に合った内容のものであるということが、とても大事。

 

そして、この工房空間でありコミュニティにはメンバー、スタッフ共に、キャラクターの濃い人が多い。ずっと、しゃべっている人、ずっと静かな人、ときどき歌を歌う人、ときどきいなくなる人、いろいろ早い人、いろいろ遅い人、ほんとうにいろんな人がいて、人の幅というかグラデーションが広くあるので、その中のどこかに自分の場所をみつけることができる。しかも、自分らしくである。自分自身は小さな頃、ほとんど人前で話をするタイプではなく、黙々とひとり遊びをしているのが好きな方だったので、次々とリズミカルに出てくる研登くんの言葉を聞きながら、黙って染色作業をしていると、なんとも言えない、子供の頃を思い出すような、《自分のままで、ここにいていい》という、居心地の良さを感じた。考えてみると、一般的なコミュニティよりも、キャラクターの幅がある分、居心地が良いのだと思う。

 

なんて器が広く、居心地の良い空間だろう。全国各地、時折世界各地にも行ってきたが、こんな場所はなかったように思う。ブータンの村人総出の建設現場、天草のたくさんの職人のいる陶磁器工房、小さい頃に通った幼稚園、どれも似ているようで少し違う。だけれども、なんとも懐かしい場所なのである。

 

こうして自分もLa Manoでの自分の居場所を見出していった。

 

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研登くんと井上さん。2人は藍染め10年の大ベテラン。

 

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絞りの仕込みをされた手ぬぐい。これを藍染めします。

 

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染料から出してすぐは茶色です。

 

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空気に触れて酸化すると、たちまち藍が発色。不思議。

 

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藍甕。ついつい覗き込んでしまう。表面は酸化して藍色だが、中は茶色の液体なのだ。

 

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外にあるものも含めると全部で12個の藍甕がある。

 

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染色を終え、水にさらし、不純物を洗い流す。

 

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1日の最後には藍甕の色調整。藍は生き物のようで、毎日手入れが必要です。

 

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pH(ペーハー)のチェック。アルカリ性を維持します。

 

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貝灰や還元剤を入れて、色を調整します。

 

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貝灰や還元剤を入れる分量は経験から適量を導き出します。

 

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藍甕の色見本。実は、甕ひとつひとつの色は違うのです。

 

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研登くんは攪拌(かくはん)ももちろん、おてのもの。

 

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皮膚は磨けばなんとか色が落ちますが、爪は全く落ちません。藍はタンパク質に強く結び付くそうです。